BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

よこみち【真読】№121「教えてイイコト、ワルイコト」

たとえば仏像開眼の儀礼作法を知りたいとしよう。
 そうした事情に明るいどこかのお坊さんに聞きに行く。
「教えて下さいな」
「そんなこと簡単に教えられるもんじゃないよ」
「そんなけちなこと言わないで教えてよ」
「なに言ってんだ、そんな軽々しいもんじゃないんだよ」
「ちぇ、じゃあいいよ他の人に聞くから。べ~~だ」
 とこんなことはないだろうか。
 本編が誡めているのはまさにこのことだ。
 儀礼作法に限らない。声明の細かな節回しであるとか、祈祷太鼓の打ち方であるとか。もちろん仏教に限らず、どんな業界にもこうしたことはあるだろう。
 ひとつの技術や伝承の修得にはそれなりの修練や辛抱を経てはじめて師から伝授されるもので、軽はずみに教えを乞うのは失礼な行為だということを人は忘れがちだ。そのことを示すよいエピソードを禅宗は伝えている。世に名高い慧可断臂の場面。中国僧・慧可が少林寺坐禅修行を続けている達磨大師のもとを訪れ、入室を頼む場面だ。以下、道元の『正法眼蔵行持』巻より引用しよう。

コノトキ窮臘寒天ナリ、十二月初九夜トイフ。天大ニ雨雪ナラストモ、深山高峯ノ冬夜ハ、オモヒヤルニ、人物ノ窓前ニ立地スヘキニアラス。竹節ナホ破ス。オソレツヘキ時候ナリ。シカアルニ大雪匝地、埋山沒峯ナリ。破雪シテ道ヲモトム。イクハクノ嶮難ナリトカセン。
 ツヒニ祖室ニトツクトイヘトモ、入室ユルサレス。顧眄セサルカコトシ。コノ夜ネフラス、坐セス、ヤスムコトナシ。堅立不動ニシテ、アクルヲマツニ、夜雪ナサケナキカコトシ。ヤヤツモリテ腰ヲウツムアヒタ、オツルナミタ滴滴コホル。ナミタヲミルニ、ナミタヲカサヌ。身ヲカヘリミテ、身ヲカヘリミル。
 自惟スラク、「昔人、道ヲ求ムルニ、骨ヲ敲テ髄ヲ取リ、血ヲ刺シテ飢ヱヲ濟ヒ、髮ヲ布イテ泥ヲ掩ヒ、崖ニ投テ虎ニ飼フ。古尚ホ此ノ若シ、我レ又タ何ン人ソ」。カクノコトクオモフニ。志氣イヨイヨ勵志アリ。
 イマイフ「古尚ホ此ノ若シ、我レ又タ何ン人ソ」ヲ、晩進モワスレサルヘキナリ。シハラクコレヲワスルルトキ、永劫ノ沈溺アルナリ。カクノコトク自惟シテ、法ヲモトメ道ヲモトムル志氣ノミカサナル。澡雪ノ操ヲ操トセサルニヨリテ、シカアリケルナルヘシ。遲明ノヨルノ消息、ハカラントスルニ、肝膽モクタケヌルカコトシ、タタ身毛ノ寒怕セラルルノミナリ。
 初祖アハレミテ、昧旦ニトフ。「汝久シク雪中ニ立ツ、當ニ何事ヲカ求メン」ト。
 カクノコトクキクニ、二祖悲涙マスマスオトシテイハク、「惟タ願クハ和尚慈悲ヲモテ、甘露門ヲ開キ、廣ク群品ヲ度シ玉ヘ」。
 カクノコトクマウスニ、初祖曰ク、「諸佛無上ノ妙道ハ、曠劫ニ精勤シ行シ難キヲ能ク行シ、非忍ニシテ忍フ。豈ニ小徳小智、輕心慢心ヲ以テ、眞乘ヲ冀ハント欲センヤ。徒勞勤苦ナラン」。
 コノトキ二祖キキテ、イヨイヨ誨勵ス。ヒソカニ利刀ヲトリテ、ミツカラ左臂ヲ斷テ置于師前スルニ、初祖チナミニ、二祖コレ法器ナリトシリヌ。
 乃チ曰ク、「諸佛最初ニ道ヲ求ムル、法ノ爲ニ形ヲ忘レキ。汝今マ吾前ニ臂ヲ斷ツ。求ムル亦タ可ナル在リ」。
 コレヨリ堂奧ニイル。

 文中「骨ヲ敲テ髄ヲ取リ」とは、常啼菩薩が演法を求めて自分の太腿を割き、中から骨を取りだし、その中の随を取り出して見せ、絶命した話。「血ヲ刺シテ飢ヱヲ濟ヒ」とは、飢えた者を救うのに自分の身を刺して血を与えた話。「髮ヲ布イテ泥ヲ掩ヒ」とは、仏の為に自分の髪を泥の上に敷いた話。「崖ニ投テ虎ニ飼フ」とは、崖から身を投げて飢えた虎に与えた話。いずれも自分の身命を賭けて求法に臨んだエピソードだ。
 途中で達磨が諭す言葉が慧可にとってはことさら痛い。
 「諸佛無上ノ妙道ハ、曠劫ニ精勤シ行シ難キヲ能ク行シ、非忍ニシテ忍フ。豈ニ小徳小智、輕心慢心ヲ以テ、眞乘ヲ冀ハント欲センヤ。徒勞勤苦ナラン」
 仏たちが伝えてきた無上の妙道は、永劫の時を超えて行じがたきを行じ、忍びがたきを忍びて伝えてきたものだ。どうして小賢しいだけの軽慢な心根の分際で真如の教えなど求めようとするのか。(そんなところに突っ立っていたって)まったくの無駄骨だ。
 慧可が自分の左腕を切り落とすに至るにはこうした経緯の末だった。
 
 本編からはいささか重みが違うかもしれないが、しかしそれほど離れた話ではないと思う。「盗法の罪」という言葉も思い出されてくる。
 もっとも、だからと言って気安くものごとを聞くことを牽制するものでもない。気軽に聞いていいこと、悪いことをわきまえるエチケットを大切にしましょう、というくらいのことだけどね。

【真読】 №121「たやすく印明を見聞きする罪」 巻五〈雑記部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号53

 『集経』第一(仏頂壇法)、仏、諸の比丘に告げたまわく、「いまだ一曼荼羅道場に入らざる者は、為に三昧陀羅尼呪印を説くことを得ず。聴聞することを得ず。法を見ることを得ず。もし為に説けば、まさに地獄に堕すべし。その法を聴く者は愚痴の報を得る。たやすく法を見る者は鬼神に瞋呵さる」。

【真読】 №120「露わにして印を結ぶことを得ず」 巻五〈雑記部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

 

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テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号52

 問う、印を結ぶに袈裟の下にし、あるいは衣袖の中にして手を露わさざるいわれは如何。
 答えて曰く、これ印呪を重んずる義なり。もし露わにし軽くすれば、悪鬼神に碍(さえ)られて成就せず。
 『陀羅尼集経』第一(仏頂壇法)云く、自らかつて三昧道場に入り難ければ、心を用いて護し命を軽くせざれ。露處(あらわ)に印呪法をなせば、悪鬼神のために便りを得ざる。

よこみち【真読】№117/118/119「数珠ってどうよ?」

この連載で複数の本編項目にひとつの「よこみち」ってはじめてかも。
 にしても数珠に対する思い入れは強いね。そもそも巻一の№1からして数珠のことを取り上げていた。
http://ryusen301.hatenablog.com/entry/2015/02/10/064322
巻五になると上掲の№117~119なんだけど、本編にはここで取り上げなかった「数珠の標幟」という項目もあるのだから、ここまでで数珠は五回も項目として挙げていることになる。子登の属する真言系の教えではこのように数珠に対する意味づけが重要視されているということなのだろう。
 そこで「よこみち」では、私の属する曹洞宗では数珠をどう見ていたかということを紹介して両者の対比を試みてみたい。
 とういうわけで道元の場合である。たずねてみると道元の言葉中に数珠を名指ししたものがある。次がそれである。

「寮中、高声に読経唫詠して、清衆を喧動すべからず。また励声を揚げて誦咒すべからず。また数珠を持して人に向うはこれ無礼なり。諸事須らく穏便なるべし」。

 これは道元の著『衆寮箴規』の一節。衆寮とは禅宗寺院の中に設けられた坐禅堂は別の、言わば修行僧の生活スペース。その室内における生活規律を定めたものがこの本である。「数珠を持して人に向うはこれ無礼なり」。う~む。こんなことって真言宗はもちろん他の宗派では言うものだろうか。
 道元ははじめ比叡山で修行したのだから天台密教の経験はある。たとえば抹香を手にすりつける塗香は今の曹洞宗ではほとんど行なっていない。しかし道元の著作の中には塗香してから仏像に向かうことが書いてある。数珠に関する伝統仏教鎌倉時代道元以前のという意味で)の所説を知らないはずはない。「人に向かう」時、という限定付きではあるが、道元の数珠に対する評価はかなり厳しいと言える。
 で、この厳しい路線を江戸時代になってさらに徹底させた禅僧がいた。その名は徳巌養存。道元の『衆寮箴規』の解説書『永平衆寮箴規然犀』を元禄十四年(一七〇一)に刊行する。その中でくだんの一節を次のように展開する。

 今、あるいは襟上に数珠を係け、あるいは掐(つまぐ)りて客に対する。もって厳具となす。矯異眩耀にしてもって利名をむ。これらをすなわち「威儀の賊」となす。我が祖、謂いつべし、澆季を明察すること星衡藻鑑と。

 近頃は、数珠を首輪のようにしたり、くりくりつまぐって客人に相い対したり者がいる。これは数珠を法具ではない厳具いわばアクセサリーとしているものだ。ことさらに素材に凝ってみたりきらびやかにしてみせたりしてちやほやされたがる。こういう者たちを「威儀の賊」というのだ。我が祖・道元禅師の言葉こそ、まさに言うべし、時代の末を明らかに見通せることは秤(はかり)目のごとく正鵠を射ているものだ、と。
 こんな試訳をしてみた。「矯異」の意がやや心許ないがどうだろう。ここでもっとも痛烈な一語は「威儀の賊」だ。さしずめ今風に言えば「ファッションなどにとらわれているうつけもの」(あ、言い回しがやや古いか)というところだろう。ここではすでに本編で複数の典拠を引いて示してきた頂髻、頸、手、臂にかける数珠の意義など一顧だにされていない。曹洞宗のある一面をぐんぐん延伸してゆくとこうなるといういい見本のような事例とも言える。おそらくこの言葉に共感する禅僧は少なくないはずだ。
 宮廷仏教として官寺の地位を連綿と継承してきた真言宗、自他ともに「土民禅」と称してひたすら都を忌避してきた曹洞宗。実際はそんなものではなかったが、なんとなくそんなステレオタイプをイメージしてしまう。
 かくいう私は、いい年した曹洞宗僧侶が、中高生のようにブレスレットよろしく法要時でもないふだんから手首に「厳具としての」数珠を掛けているのを見ると、あまりいい気はしないのである。

【真読】 №119「数珠の功徳」 巻五〈雑記部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

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 数珠を造る法ならびに加持の法、『陀羅尼集経』の第二「文殊根本儀軌第十一」に出たり。この法に依って造り加持せざれば功徳少なし。深秘なれば今出さず。師に問うべし。
 ○『瑜伽念珠経』に念珠の結縁の功徳を説いて云く、「もしは頂の髻(もとどり)に安じ、あるいは耳に掛け、あるいは頸(くび)の上に安じ、あるいは臂に安ぜば、その人の所説の言論、すなわち念誦と成って三業を浄む」と(已上)。
 また云く、「もし髻に安ぜば五逆罪を滅す。もし頸に安ぜば四重の罪を浄む。もし手に持し臂に安ぜばよく衆(もろもろ)の罪を滅す(已上)」。
 『数珠功徳経』に云く、もし人、法によって仏名・陀羅尼を念誦することあたわずとも、ただよく菩提子の念珠を手に持し身に随えば、行住坐臥に出すところの言語までも、彼の念仏し呪を誦する功徳と同じうして福を獲ること無量ならん(已上)。
 これまた結縁の功徳なり。ただしこれは如法に加持して造れる念珠のことなり。今時、市肆に売買す数珠は、製も法に契わず。酒肉五辛を喫(くら)い、淫欲などの穢れに造れる物なれば論ずるに足らず。
 ○『一字頂輪王儀軌』に云く、「珠を敬うこと仏の如くして軽々しく棄触すべからず。何となれば珠に由て功徳を積んで速やかに成就を得るがゆえに(已上)」。
 また経には、頸に安ぜよとあれども、外道の髑髏を繋げ掛けたるに相似たるがゆえに、頸に掛けることを用いず。また耳(※原本は「其」)に安ぜよと云うは、清浄に洗浴したる時の事なり。常人の耳は垢穢多きゆえにこれもまた用いず。また髻に安ぜよと云うは、直に安(お)くにはあらず。浄き物を以て包み、あるいは函(はこ)に盛(い)れて髻の中に蔵(おさ)むなり。今はただ臂に掛け手に持するを通途とす。されどもこれまた穢れたる手を以て執ることすべからず。浄水を以て手を洗い香を塗って数珠を執るべし。「珠を敬うこと仏のごとくせよ」と云う経文を以て推して知るべし。

【真読】 №118「数珠の種類」 巻五〈雑記部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

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テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号51

 『金剛頂瑜伽念珠経』に曰く、「煩悩を滅せんと欲せば、まさに数珠を持して常に身に随え、専心に諸仏の名号を繋念すべし。
 しかるに数珠の多少に功徳の勝劣あり。一千八十珠を上品とす。一百八珠を最勝とす。五十四珠を中品とす。二十七珠を下類とす。
 手に念珠を持して心上に当て、静慮して念を離れて、心専注にして、もしは頂髻に安じ、あるいは身に掛け、あるいは頸上に安じ、及び臂に安ず。なお頂髻に安ずれば無間を浄む。なお頸上に帯すれば四重(殺生・偸盗・婬欲・妄語)を浄む。手に持って臂に上れば衆罪を除いて、よく行人を悉く清浄にせしむ」と。(已上、経文略)