BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

【真読】 №116「逆修」 巻五〈雑記部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号50 逆は「あらかじめ」と訓ず。あらかじめとは先だってなすことを云う詞なり。我が死後の修福を生涯に先だって修すれば逆修と名づく。『釈氏要覧』には「預修」と云う。「預」もあらかじめ…

よこみち【真読】№115「“してあげる”ことを布施と云う」

コンビニのレジなんかでよく見かけるおつりの時にでたこま銭などを入れるためにおいてあるだろう箱。「アフリカの恵まれない子どもたちへあなたの善意を」とか「いまだ困っている被災地へささやかな支援を」とか添え書きがしてある。場面は違うけれど、テレ…

【真読】 №115「生飯(さば)」 巻五〈雑記部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

生飯(さば)とは元(もと)これを「衆生食」と云うゆえなり。 『行持鈔』下に云く、「衆生食を出すことを明かさば、あるいは食前にもあり、あるいは食後にもあり。経論に文無し。情に随って安置す(文)」。衆生食とは、衆生は鬼子母と曠野鬼となり。 ○『涅…

よこみち【真読】№114「ガキ=子供」はもうやめよう

六道の一つを餓鬼と呼ぶのはいい。広い意味での仏教の世界観に受け容れられた餓鬼道についてはそのまま受けとめようと思うが、人の子を「ガキ」と呼ぶのは好きになれない。もっとはっきり言えばとても嫌いな言葉で、できればやめてほしいとさえ思う。 いった…

下田正弘「伝承といういとなみ‐実践仏教学の解釈学‐」 『親鸞教学』93、2009年3月

著者注「本稿はそ(引用者注:下田「生活世界の復権‐新たなる仏教学の地平へ」『宗教研究』№333、2002年)の続編をなす」 エドモンド・リーチは社会人類学の叢書の一冊において『実践宗教における弁証法』という著書を編み、そのなかでヨーロッパにおける仏…

【真読】 №114「施餓鬼」 巻五〈雑記部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

吾が門の徒は日々必ずこの法を修すべし。儀軌にも獲る所の福利果報校量すべからずと云へり。 ○『仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経』(不空訳)曰く、阿難、独り静処に居して所受の法を念ずるに、その夜三更以後に当って焔口と云う餓鬼、阿難の前に現ず。その形醜陋…

下田正弘「〈近代仏教学〉と〈仏教〉」『仏教学セミナー』73 2001年5月、大谷仏教学会

〈仏教学が仏教を変えてきた、あるいは仏教そのものを作り上げてきた〉 アジアにはさまざまの仏教徒が生活をしています。(中略)これらの仏教徒たちはそれぞれの地域や歴史に限定された特色を持ちつつも、〈仏教徒〉として共通の世界に生きている意識を持っ…

下田正弘「神仏習合という可能性‐仏教研究と近代‐」『宗教研究』81(2) 2007年9月

〈論文要旨〉神仏習合の裏面の問いとしての神仏分離には、近世から近代にかけて中央集権国家を構築した日本の歴史全体が反映する。仏教の迫害と変容の基点となった明治維新をとりまく暈繝には、権力支配の構造の変容と諸知識体系化の歴史が重なりあう。経世…

下田正弘「仏(ブッダ)とは何か」『駒澤短期大学仏教論集』第5号、1999年10月

さまざまなヴァリェーションがある仏教において、最低限の共通項は何かと問われるなら、それは「三宝の存在」であると考えられること、それだけを申しあげておきましょう。 仏宝、法宝、僧宝の「三宝に帰依をする」ことによって人々は仏教徒になっていく。時…

【真読】ちょっといっぷく(五)反省

とういうわけで本編『真俗仏事編』巻四「送終部」を読み終わり、次回からは巻五「雑記部」へと移ることになる。これまでの例にならって本文の文脈からは離れて一息つくのがこの幕間だ。 この連載やそしてその元になっているfb「仏事習俗アラカルト」でもい…

法具の密教的意義について その4

「金剛和讃」の密教的解釈については「その3」で紹介した通りである。さらに詳しい解説に及ぶことは、他宗・他流の奥義に触れることにもなるので、このような半公開的な性格を帯びたWEB上では控えておきたい。金剛界曼荼羅及び成身会については図像を利用し…

法具の密教的意義について その3

曽我部自身による「金剛和讃」の解説もあるがいささか頁数が多い、ここではやや時代を下るが、曽我部の解説趣旨を踏襲しているものとして、以下の「金剛和讃解説」(『高野山金剛流詠歌和讃の解説』高野山布教研究所編集、昭和63年初版、平成元年第三版)を…

法具の密教的意義について その2

金剛流流祖 曽我部俊雄師像 「金剛和讃」の作者・曽我部俊雄師は、金剛流御詠歌の音符・楽理(音楽的理論)・所作・指導原理の大成者と評される人で、「金剛和讃」が発表された昭和四年九月には金剛流詠監職に就任し、後には「金剛流流祖」の称号を得ている…

法具の密教的意義について その1

法具の意味づけについては、これまでしばしば問われることのあったものの、梅花流ではそれを解説するものがなかった。それは真言宗所伝の御詠歌をもとに曹洞宗梅花流が発足した際、あえて採用しなかったのではないかと考えている。そのため今日の梅花流布教…

よこみち【真読】№113「オムカエデゴンス」

来迎の場面とは多くの場合迎えられる者にとって<のぞましい>ものとして描かれることが多いというイメージがある。浄土教系の往生観念を下敷きにした来迎図のバリェーションがそれだ。もっともこのことはビジュアルとして世に出回っている媒体が多いと云う…

元政廟に詣る

たのもしなあまねきのりの光には 人の心の闇も残らじ 年来の願いであった京都深草の瑞光寺。このたび初めてお参りすることがかなった。ちょうど同じ用事で訪京していた友人Sさん夫妻とご一緒だった。 日蓮宗、元政庵瑞光寺。 思いのほか静かな住宅街にある…

【真読】 №113「火車来たり迎う」 巻四〈送終部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号48 問う、重悪人死するとき、火車来たり迎うこと、世俗専らこれを談ず。本説ありや。 答う、提婆達多、逆罪を造るとき、大地自然に破れ、火車来たり迎えて生きながら地獄に入ると云へる、こ…

よこみち【真読】№112「脳をすすり、眼をくり抜き」

「ノドに血ヘド見せて狂い鳴く あわれ あわれ山の ほととぎす」 井上陽水『帰郷』のフレーズ。死者とホトトギスとが並んでいる箇所を読むとふとこのフレーズが浮かぶ。刷り込まれているんだなきっと。 『十王経』には内容の異なるものがあるが、本編で引用し…

【真読】 №112「冥途の鳥」 巻四〈送終部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号47 問う、葬送の龕などに居る冥途の鳥は杜鵑(ほととぎす)の事と聞く、然るや。 答えて曰く、これ『十王経』に襤褸鳥(らんるちょう)と化し来て別都頓宜壽(ほととぎす)と鳴くと云えるを…

よこみち【真読】№111「年頭偶感」

本編の画像に貼り付けた「おそ松くん」。テレビの放映は1966年2月から1967年3月だったらしい。 その頃、それまで家族でお世話になっていた秋田市内のお寺を離れ、両親と妹の家族四人で、小さな貸家に住み始めた頃だった。おそらくその転居に合わせて白黒テレ…

【真読】 №111「六地蔵」 巻四〈送終部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号47 具(つぶさ)には『谷響集』の中の如し。しかるに菩薩は普現色身三昧に入りたまへば、無辺の身を現ず。観音の三十三身の如し。今、六地蔵は六趣に普現したまうなり。 ○『元亨釈書』に曰…

よこみち【真読】№110「古い人間とお思いでしょうが」

「生まれ変わって花になる」 「自然の大きな循環の中に回帰する」 自然葬の魅力をアピールするコピーはなかなかキャッチだ。 今回の本編もまさにこうした自然葬が「上品」の葬法なのだと後押しをするような典拠になりそうだ。 実際には身肉を焼却して残った…

【真読】 №110「三葬、功徳の勝劣」 巻四〈送終部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号47 土葬・火葬・水葬と云う。これを三葬と云う。 土葬は身形を全(まった)からしめんためなり。哀情の甚だしき故になす処なり。 火葬は骨を親類に分布せんためなり。これ釈迦の荼毘になら…

よこみち【真読】№109「ガチです、TORII考」

このたびのテーマ「とりい」。正面から取り組むことを逃げてばっかりの「よこみち」ではあるけれど、今回はそうもしていられない。なぜかと言うに、ある程度お里の知れるものであればこそ、ちょろりと横からくすぐる面白さもあるのだが、今回本編「華表」の…

【真読】 №109「葬場の華表(とりい)」 巻四〈送終部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号47 問う、今、葬場に華表(とりい)を構えるは何の故ぞ。 答えて曰く、『古今注』に、華表を釈して「また以て衢路を表識す」と云へり。これに拠れば、元と路筋を知らしむる為に立つ。故に今…

よこみち【真読】№108「絶句」

生まれてから五歳の頃まで秋田市内の寺町通りにあるお寺で過ごした。そのお寺に県の宗務所という宗派事務局があり、父がそこの職員をしていた。同時にそのお寺の法務手伝いをしており、妻を娶り、妻はお寺のまかない手伝いとして二人一緒に住み込み暮らし。…

【真読】 №108「寺内の葬り」 巻四〈送終部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号46 寺は三宝の住所なれば、死骸を葬ること不浄の咎あらむ。 答う、律に制せざれば苦しからず。『行事鈔』下に云く、「高僧伝に多く寺中に葬する者の有り。 経律の中にまたこれ有り。『僧祇…

よこみち【真読】№107「礼塔」

金髪、ピアスで黒革の上下。金属ボタンの革ブーツ。ついありがちなキャラの型にはめたくなりそうなその若い男性が一人で墓参。先年両親を亡くした。小一時間も墓所にいただろうか。また一人帰るその姿に思うところは少なくない。 不在となった人に寄せる思い…

【真読】 №107「礼墓」 巻四〈送終部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号46 『行事鈔』下に、師塚に拝すべきの問答あり。 ○『五百問』に云く、 問う「生ける時こそ師なり。死してはその師、枯骨と成る。枯骨を拝して何にかする」。 答えて云く「仏も涅槃後には枯…

よこみち【真読】№106「神国日本」

本編の末尾に云う「随方毘尼」とは、時宜に随って既定の律を融通させることを云う。「一応決まりではかくかくしかじかなんだけど、ここではケースバイケースでいいよ」ということだ。前にもこれに似たことがちょっとあったけど、日本は神国だから、という編…