BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

梅花流以前の梅花 その1

曹洞宗という仏教教団に「梅花流」と名付けられた詠讃歌の流派がある。

他宗にもいろいろあるけど、曹洞宗にはこの流がひとつだけ。

昭和二十年代、敗戦後の日本社会がようやく立ち直りつつある頃に生まれた。

その経緯について、曹洞宗側からは

「教化部門の一つとして“梅花流”詠讃歌を初めて」(梅花流正法教会会長・曹洞宗宗務総長 来馬道断 『梅花』第一巻第一号、昭和35年5月15日 梅花流正法教会総本部発行)と言われるように、教化施策の一つとして発足したものと理解されている。

じつはこの梅花流、いくつかの意味でとても興味深いものと思っている。

まだ充分に整理し切れていないけど、思いつくままに挙げると

1)戦後復興期の宗教運動として捉えられる

2)「歌舞音曲」に批判的であった曹洞宗においてどのように位置づけられるのか

3)詠讃歌の歌意が曹洞宗教学の中でどのように説明されるのか

4)講活動としてみた時、講員の「こころの復活」にどのように貢献してきたのか

など、まだまだ他にありそうだけど、

そのアプローチによってはおもしろい問題が出てきそうなニオイがぷんぷん。

そこで、追々食指を伸ばしていきたいのだけど、

まずは1)を当面の課題として追いかけてみようと思う。

このあたりの事情について曹洞宗側の説明は

昭和26年(1951)の梅花流正法教会の発足

そしてその前年の教会発足への慫慂活動から説き始めるのが常であった。

それをここへ記す前に、もう少し遡ったところから考えてみたい。

どうしたかというと

梅花流発足の直接のきっかけとなったのは

確かにこれまで繰り返されてきたように

幾人かの僧侶たちによる運動の所産だと思うのだけど

その運動を生み出し、そして共感と賛同のもとに

より大きな運動へと展開させていったものは

よく、時代的要請とか社会的要望などと言われるものがあったからなのだと思う。

それについてこれまでの記述にはなんのコメントもないのだが、

私の追いかけてみたい一つめの問題はまさにそこにある。