梅花流以前の梅花 その4
以下、その3に掲載した〈『大乗禅』目次一覧表〉をもとに論を進めてゆく。
※なお〈一覧表〉に付言するが、「年月」項は上二桁が昭和の年代を示し、下二桁が月次を示す。(例:2209 → 昭和22年9月)
【1】
先ずは昭和19年から終戦の時点までを見てみよう。
とは言うものの表に見るとおり、対象となる号は、
昭和19年2月(通巻236)~昭和19年12月(通巻246)までとなる(内、昭和19年3、4、6、8、11月号を欠く)。
昭和20年1月号~7月号は駒澤大図書館に所蔵されておらず、
また昭和21年4月に発行された通巻249号は、
昭和20年8月~昭和21年4月までの合併号として発行されている。
これは前述のように終戦の時点から翌年4月までの刊行事情の窮状を窺えるもので
実質的な休刊と見てよいと思う。
以上の状態から、「昭和19年から終戦の時点まで」を丁寧に通時的にたどると言うには
いささか欠損の多いことは否めないが、
それでも当時の状況を知るためには有益な情報である。
さてここに表示された目次タイトルだけを見ても戦時下の「禅」の様相がよくわかる。
「惟神の大道と禅」「決戦下禅風挙揚の方策」「戦時の坐禅」(以上1902)
「戦争と信仰(全巻特輯)」(以上1905)
「一億總玉砕の覚悟」「死は最後の戦ぢや」「戦力の強化」「必勝の神風と雷禅」「悪鬼羅刹の行為」「報復はたゞ完勝のみ」「戦争禅」(以上1907)
「一億總武装と驀直去の公案」「サイパンに戦死した我が子を語る」「命がけ」「空襲下の禅」(以上1909)
「勝決するの機方に今日に在り-敢然国難に赴かん・雪後初めて知る松柏の操・後醍醐天皇の御頌に徹せよ・百尺竿頭更に巨歩を進めよ」「ゆるぎせぬ神州」「軍は必ず勝たん」(以上1910)
「更に最大級の実行に待つ」「忠孝一貫の精神」「死」「一億成仏の必勝禅」「時局と禅」「大和精神」「皇道と禅」(以上1912)
一覧して瞭然のとおりだが、
これを今日的視点から時勢に迎合した仏教の堕落であると批判する立場はしばらく取らずにおきたい。
たしかにこれらのタイトルを見て、あるいは憤慨し、失笑し、唾棄しようとする人(しばしばそれは僧籍のある人だが)は少なくないだろう。
私の思いもまた忸怩たるものないではないし、応分に複雑な思いを抱く。
しかし目下の目的がそこ(戦時下の教学批判)にはないことを理由に
批判的言動は慎んでおきたい。
しかしながら、そうした状況を看過すると言うことではない。
自らも同じ立場にあるものとして、厳しく内省し、
再び同じ轍を踏まぬ誓いを新たにすることに異はない。
たとえばそうした内省から発する当時の状況への発言は
工藤英勝氏が繰り返し行っている。
また、その一方では当時の社会状況下に置かれた一人の曹洞宗僧侶を
時代的限界を踏まえつつ、できるだけリアルに捉えようとする
一戸彰晃氏の『曹洞宗の戦争-海外布教師中泉智法の雑誌寄稿を中心に』(2010年)という成果もある。
戦時下における教団の状況を評価するための私自身の立脚地が
いまだ固まっていない、「忸怩たる思い」はそこに向けられているのかも知れない。
ともあれ、終戦直前までの『大乗禅』を通して見る禅宗教団の言説が
おしなべて戦争推進のための言説であり、
さらには戦局行き詰まり、破れかぶれになってゆくようすもうかがわれ
慄然とする思いがする。
そして昭和20年8月、広島次いで長崎への原爆投下を経て、終戦を迎える。
戦後の禅宗教団が何を目指したか、
2104(通巻249)以降がその方向軸を明らかにしてゆくのである。