BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

水鳥の道 その2

 この度の小野さんの投稿、非常に勉強させられるところありました。SNSがこんなやりとりで深まってゆくと、ありがたいなと考えていたので、うれしく思います。

 不勉強ながら、若干の卑見を申し上げて、あらためてご意見いただければ、自分にとって一層益するところあると思い、失礼します。本当は小野さん宛にメールしようとも考えたのですが、SNSの利を期待して、他の先生達からもご批正いただければ幸いです。

 小野さんの考えは、

 A)水鳥の軌跡の理解を法句経に求めることによって「空路」と推測している

 B)和歌の詞書「応無所住而生其心」の趣旨も1)の理解を踏まえることによって妥当性を獲得する

 という二つの点で、特色あるものだと思います。同時にこの点において、歌意と教意を統合的に捉えようとされているという意味において、他の解説を凌ぐものと考えます。

 そこで、卑見を述べる手順として、以下のように順を追っていきたいと思います。

 1)中世歌語における「水鳥」の意味

 2)道元和歌に対する伝統的理解

 3)道元の立場から

 以上を述べた上で、最後に卑見を呈することにしたいと思います。

 

1)中世歌語における「水鳥」の意味

 

 和歌に使用されている言葉を理解する場合、その和歌が詠まれた当時、当該の社会ではどのようにそこにある言葉が使用されていたか。このごく当たり前のアプローチから始めたいと思います。

 現在、道元の和歌に対する最も新しい研究成果に、中世国文学者で曹洞宗の僧籍にもある、高橋文二先生の解説があります(「道元禅師和歌集」『原文対照現代語訳・道元禅師全集』第17巻所収、2010年、春秋社)。そこでは、問題の和歌「水鳥の」一首について、高橋(敬称略)は次のようなコメントを付しています。

 〈平安時代中期の紫式部の日記の中には、紫式部が道長邸に滞在していた折りに、庭の池に水鳥が何気なく遊び泳いでいるのを見て、罪深いわが身を思い、「水鳥を水の上とやよそにみむわれも浮きたる世を過ぐしつつ(水鳥を水の上で遊び泳いでいる私とは関係ない気楽な存在と見ることができようか。水の上では気楽そうな水鳥も、実は足掻き、藻掻きながら生きているのだ。私も宮仕えしながら、気楽に浮き世を渡っているように見えるだろうが、実のところ、心のうちはつらいことがいっぱいなのだ)」と詠んだとある。水面の上と下とのありようの違いに注目しながら、しかもそれを人間の心姿勢の表と裏に関連させながら詠んでいる。道元の歌も何気ない比喩のように一見見えるが、実はきわめて伝統的な手法なのである〉

 これによれば、水上に見える水鳥の平然とした泳ぐ様と、水面下での必死に足を掻いているようすのギャップが、歌語「水鳥」のモチーフとしてこの時期にはあった、と見てよいのかもしれません。このような中世和歌文芸の影響下に、道元の幼少~青年期があったと言うことは、つとに知られていますし、私も『詠讃するということ』で、かつて触れていました。

 こうした理解をもとに、高橋は一首を次のように通釈しています。

 〈水鳥は行きつ戻りつして泳ぎまわっているが、その場所に執することもなく、その泳ぐ跡形さえも残さない。それは自在な境地のようにも見えるが、しかし、その実、水中では足掻き、もがき(藻掻き)しながら強く生き、鳥としての生き方を忘れることはない。私達もいたずらに浮き世の雑事に執着することなく、自らの心を高めて仏道に生きたいものである〉

 道元と同じ時代の、そして道元に近縁(『詠讃するということ』参照)の和歌集として知られる『新古今和歌集』にも、水鳥で始まる一首があります。

 「水鳥の鴨のうき寝のうきながら波の枕に幾世へぬらん」(堀川百首)

 小学館日本古典文学全集版の解題には、〈「うき」に、水に浮くの意の「浮き」と、独り寝で辛い意の「憂き」とをかけた〉とありますので、ここにも表面的には平静でありながら、内面的には煩悶を抱えている、前述に通じるモチーフを確認できるように思います。

 もう少し「水鳥」をめぐるイメージについて考えてみるために、『日本国語大辞典』の「水鳥の」の項を見てみます。そこには歌語との関わりから意味を分類し、次のようにあります。

 1:水鳥の代表的なものとしての「鴨」や、鴨と同音の地名「賀茂」にかかる。

 2:賀茂の羽の色が青いところから、「青羽」と同音の「青葉」にかかる。

 3:鴨の羽交いの意で、「羽交」と同音を含む「羽易の山」にかかる。

 4:水鳥の飛び立つ意で、「立つ」にかかる。

 5:水鳥が水の上に浮いたままで寝たり、年を経たりするところから、「浮き寝」と同音の「憂き寝」に、また「憂きて経」にかかる。

 6:水鳥の泳いでいったあとの波がすぐ消えるところから、「はかなき跡」にかかる。

 先ほどの「水鳥の鴨の」一首は、5に相当するようであり、また問題の道元の和歌は6に相当するようにも思えます。無論、まだ早計に判断はしません。

 ただここで注意したいのは、水鳥=渡り鳥(ないしは空を飛び行く鳥)というイメージは、それほどポピュラーではない、ということが言えるのではないでしょうか。(未了)