涅槃図考
人の死んでいる場面を絵に描く。
考えてみれば変なことでもあり、少々気持ち悪く思う人だっているだろう。
この構図でリアルな人物写真だったらどうか。その人が自分の近親者であるならともかく、死体の写っているそれを慕わしく思う人はそう多くないはずである。
ところがこの死体が主人公の絵図は、それを生み出した母体であった仏教組織を超えて多くの人に愛された。いや少なくとも好かれた。
おいおい思いついたことを書き加えることになると思うけど、まずは覚え書きとして始めていこう。
仏陀の入寂が物語となるのは、その場面に居合わせた人々の伝承によるのだろうか。あるいはまた仏陀を崇める後の時代の人々が、時間をさかのぼるように「仏伝」なるものを形作ってゆく過程でできあがってゆくのだろうか。
その辺のことは突けばいろいろ出てきそうだけど今は置いておこう。
きれいな写真のブログがあったので借りてきた。
http://avantdoublier.blogspot.jp/2013/02/blog-post_1.html
二~三世紀の出土品だという。
言いたいことは、こんなんだったんだよね最初は。ということ。
その人の周りに集まるのはふつうの人間の姿をした人々だったってこと。
その人の臨終をきっかけに起こる、悲しさ、悔しさ、怒りなど今でもごくふつうに見られる場面を描いている、ということを確認したかった。
これががらっと変わるのがこの絵図から。
中心のモチーフは変わらないけれど、ギャラリーが大幅に変わる。天空に浮かぶ女人(釈迦の母とされる)、周りを囲む八本の樹木(沙羅双樹)、釈迦を囲繞する鬼神や動物など人間ならざるものたち。釈迦を尊崇する念の増幅だとか、仏伝関係資料がテキスト化されてゆくこととの関連とかいろいろ考えられるけど、今ここでの関心はこの涅槃図以後のこと。
年に一度の寺院法要でご開帳されることもおおいこの画幅。一般にその意味合いも含めて膾炙されてゆくのは写真のような「絵解き」の役割が大きかったと思う。これ以外にもあったかもしれないけど、とにかく少しずつ仏教寺院の外へと涅槃図は出て行った。
そしてこのパロディとして秀逸だと思うのは伊藤若沖(1716-1800)の『野菜涅槃図』
頭が北で右脇を下にという釈迦の寝姿だけでなく、沙羅双樹の八本という本数、雲により降りてくる摩耶夫人、白象、獅子、蛇等を思わせる大小のバランス等々、涅槃図の構成要件をきっちり押さえていることがうかがえる。さすが若沖。
そして若沖のパロディも少なくない。
野菜涅槃図を実物野菜で再現したもの。
果実で表現したもの。
といろいろだけど、涅槃図をきちんと読み込んでいるという意味では、パロディたちの方がずっと劣る。
またパロディと言えば次の例もおもしろい。
江戸時代後期から登場する芝居役者たちの「死絵」がそれ。
八代目市川團十郎。
四代目中村歌右衛門(1852)。
これらはブロマイド的な要素もあるけれど、臨終場面の描写という意味ではもと涅槃図に忠実と言える。主人公と周囲の人の大きさとのバランス、沙羅双樹に見立てた蓮の花や笹竹、そして周りで泣きくずれる人々。釈迦涅槃図の浸透度合いを確認出来るわかりやすい資料だと思う。
さらにこれの今様とも言えるこれ。
おそらくは自宅の一室で近親の親族に囲まれて、という場面なんだろう。動物たちの登場が一般の臨終場面じゃなく、涅槃図へのオマージュだということを明らかにしている。涅槃図と異なる大事な点は、悲しみの要素がほとんど感じられないこと。まわりの子供たち(と思われる人々)のおだやかなにこやかさ。主人公さえも笑みをたたえているように思われる。この画像をfbアップした時、寄せられたコメントを引いてみる。
T「沢山の方が見守っているところでの臨終はなんとも形容しがたいものがありますね。故人も安心して逝けるのではと思ってしまいます。」
K「人の臨終ってこうあるべきなんじゃないかなと思います。昔の人は家で生まれて家で死ぬのが普通だったのですものね。
私も母を自宅で看取りました。 医療者でいながら何もできないもどかしさ、悔しさ、たくさんの事を勉強させてもらいました。私も将来、自分の家で家族に看取られたいです」
涅槃図って「おのぞみの最期」の投影なんだな、と思う。