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BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

林左馬衞「釈元政の文学における心と狂 ‐ 一つの近世日本公安派文学序説ならびに論」『芸文研究』27,196903

(昨日の分)

 元政関連文献を調べてヒットした論文。林左馬衞のものは初めて。

出逢った、といえる論文。執筆者に興味惹かれた。

句点の頻出する独特の文体。流暢な漢詩訳。漢詩文の読解の深さ。

この執筆者の書いたものを読みたいと思った。

調べてみると既に故人(1932-2004)。

慶応大、宮内庁書陵部、国立民俗博物館共同研究員という職歴。

茶道史の研究で知られているらしく、CiNiiでは本論文を含め5篇しかヒットしない。

元政関係は本論文のみ。

 

内容は元政陳元贇による『元元唱和集』を通じて、元政の漢詩文のとらえ方、日本文学史への位置づけを考察したもの。

 

「元政が、「狂」としての自己を凝視し、自得できるようになった契機の一つには、その生涯のき羈胖となった、老いたる母との共同生活という問題があった、に違いない。そこから逃げてゆこうとしなかったからこそ「狂」を自得しえるようになったのであって、たんに、観念的に考えつめていって理解しえたのではなかったろう、とはぼくも思う。仏教徒として、それがきわめて特異な求道であったということは認めなければならないと思うが、そうした求道を通して、文学者としては、一つの新しい境涯をひらきえたのである。

 元政は「元元唱和集」をなしてから、ほぼ五年たって、その有為な若い人生を終わってしまった。享年四十六歳と伝えられている。陳元贇は、それより三年遅れて、異国の土に八十五歳の天寿を全うした。両者が文学的会話を果たしえた期間は、足掛け十年間であったにすぎない。当然のことながら、元政は、陳元贇に、陳元贇は元政に。十分に理解しかねる一面を、のぞかせていたであろう。そこには、やはり、荒涼たる風の吹く原野に、ふと置き去りにされたような、淋しい文学の領域がひろがっていたものと思う。

 ぼくは、この序説を終るにあたって、釈元政の文学における「心」と「狂」について、あえて、結論を出そうとは思わない。結論は、「集注」の中に、おのずからひそんでいる筈だ。と思うからだ。(この集注を一つの論とみなしていただきたい。)世上では、元政の歌は能因の亜流であり、元政の詩はえ袁中郎の詩の亜流であるという説が公布されている。」

 

「集注」は、元政と陳元贇、著作などについて先行研究の解題をあげる。

また袁中郎、元贇、元政、三者の詩を対照して掲載。