BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

ダライ・ラマ14世『傷ついた日本人へ』201402、新潮新書

(5月28日より梅花全国大会で3泊4日で島根へ。こうなってくるとなかなかアップできない)

 

高野山における講演のリライタを中心としたもの。

主旨は、東日本大震災を経験した日本人に対して、苦境にあってもその苦の原因をしっかり見つめ、智慧によって苦を克服することを勧めるもの。

だが、時折触れる以下のような文章に胸を突かれる。

先日(4月16日、曹洞宗宗務庁で行われた特別講演の際に)「高野山でもお話ししたが・・」という内容がこれだったとわかった。

 

「残念ながら、経典をお寺の戸棚に飾ったままだったり、経典自体を崇めたりしているような方々がいます。そうでなく教科書のように普段から手に取り、毎日それを読むこと。そこから少しずつでも何かを学び取ること。それが大事なことなのです」


「また、儀式やお祈りばかりしていても、そこに救いはありません。
 正直に申し上げれば、チベット人の中にも儀式ばかりを重んじて、本当に大事な勉強や修行をおろそかにしている人が多い。これは我が国だけではなく、他の国でも見られることです。
 たとえば中国人は、立派なお寺を建てたり、大きな仏像を建てたりすることにとても熱心です。もちろんお寺や仏像を建立するのは良い行いなのですが、それで仏陀になれるというわけではありません。いくら仏像を作ろうとも、仏像はあなたになにも語ってはくれません。
 日本でもこうした状況があるのではないでしょうか」

 

「仏像も僧侶もあなたを救ってくれるわけではありません。あなた自身が自分の心と向き合わなくてはならない」

 

「仏教に神さまはいません。自分を救えるのは自分だけです。自分で心を鍛錬し、自分で答えを見つけなくてはならないのです。誰かの助けに逃げたり、自分の努力を怠ったりしてはならないのです」

 

時に厳しすぎるように聞こえたり、一般の人たちがそこまで・・と思うようなこともあるが、それこそ日本仏教の弱いところかも、と気づかされる。

近年、ボランティアで評価されることの多かった日本仏教だけど(島薗進など)、ダライ・ラマはぶれないなあ。