BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

長谷部八朗「「桜井民俗学」と講研究」『「講」研究の可能性』201305、慶友社

 桜井徳太郎先生(以下ときに敬称略)。かつてゼミ生の末席を汚した。小柄ながら温厚な先生。ほとんど門外漢のような私の発表や論文にもていねいに所感を寄せてくれた。おそらく先生の著作の半分も読んでいないかもしれないが、こんなことを思っていた。専門の民俗学だけでなく、隣接諸学を幅広く渉猟し、旺盛にその成果を咀嚼し、そして取り入れ、自分自身の研究方法や理念を大胆に進展・変貌させ続ける人。

 長谷部先生(失礼ながら以下敬称略)の論は講研究を主題としたものだが、そんな昔の印象を再び思い出すきっかけになった。
 おそらくこの論は、長谷部から桜井に送るオマージュなのだと思う。「講」を切り口としてみた「桜井論」の成長を、丹念に追っている様子がうかがえる。これまでもだれも正面から受け止め、そして継承してこなかった「講」研究に対して、自分がその責を担うという意気込みの感じられる一本。

 思うに「民俗学」(かつての、と言った方がよいかもしれないが、正直に言うとそれがいつを境に切り変わる「かつて」なのか知らない)の当初の目的は「日本人の原点の探索」にあったように思う。
 たとえば柳田国男はその探索において、日本における外来的要素を極力排除しようとした。その代表が仏教であった。
 だが桜井は柳田と違い、外来的要素と土着的要素の接触・習合・変容に注目し、そのダイナミズムそのものが大事であると考えていたように思う。
 同時に、各地の民俗事象の差異を並列的・静態的に観察するのではなく、その生成過程を歴史的・動態的に捉えようと努力してきたように思う。
 周到な論文の読解も経ずに、ただ印象的に「思う」だけのことであったが、今回の長谷部の論文を読んで、腑落ちするところが少なくなかった。
 ふりかえってみれば、長谷部の本論文を読むということは、私にとって再び桜井先生の講席に臨むような、あらためて桜井先生の研究姿勢を通観するような経験だった。

 長谷部が立てた二章以降の見出しに、桜井の変化をうかがうことができる。

 二 「桜井民俗学」の方法論的推移
初期段階における「祖型」論的傾向
「土着化論」と「歴史民俗学
「習合」論へのシフト
「民間信仰論」から「民俗宗教」論へ
 三 桜井理論・再考
『成立過程』の主要な論点
『成立過程』以後に見る桜井の講研究

 長谷部は次のようにいう
「「桜井民俗学」の歩みをトレースしたとき、研究を重ねる過程で必要と思い至れば主体的に自説の再編を試み、世に問うといった研究姿勢が、一貫して認められる」

 成立過程・習合・民間信仰・民俗宗教など、それぞれのタームが桜井の中で登場してくる過程を、長谷部は丹念に解き明かしている。

 長谷部が桜井の「変化」を追求するさまは、実にていねいである。同時にその背後には師に対する敬意ともいうべき感情が横たわっている。たとえば桜井の論文に、自説を大胆に組み替えたり、論述の不整合の箇所を見つけても、そこで否定的な評価を決して下していない。桜井の論文の文字面には表れていない何かの要因(私はその大きなものは、桜井と、その師・柳田に代表される「民俗学」との葛藤のように思う)

 長谷部の論考は、このように絶えず再編し・変化していた「桜井民俗学」に対する、動態論的考察ということができそうに思う。そしてそのまなざしには、桜井に対する敬愛と思慕が色濃く混じっている。
 本論文とともに、本論文を巻頭に配した『「講」研究の現在』が、桜井へのオマージュなのだろう。