BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

権藤圓立「聴覚による布教の仕方」『布教指導叢書第9輯・立体布教』(昭和28(195312)刊行。本文末の識語は昭和28年(1953)12月1日脱稿)曹洞宗宗務庁教学局

本布教指導叢書第の刊行は、昭和27年の佐々木泰翁宗務総長を筆頭とする曹洞宗内局の先導によって開始された「正法日本建設運動」の一環としての布教施策の一つと思われる。民衆布教の理念的かつ具体的展開を多くの執筆者が述べている。

権藤はこの頃「三宝御和讃」等を作曲したことなどもあって執筆に加わったのではないだろうか。筆者肩書きは「日本宗教音楽協会理事」とある。
権藤は、すでに昭和19年に藤井清水、昭和20年に野口雨情、と親交の深かった二人は死別しており、その後病気療養していた権堂は、昭和23年頃から日本宗教音楽協会の設立に関わるなど、かつてのような音楽活動を再開していた。曹洞宗に関わるきっかけはまだ調べていないが、権堂等による戦後の仏教音楽活動再興というムーブメントの中で、曹洞宗詠讃歌活動が展開してきたことになる。
権藤の文章はいくつか読んでいたが、本資料は32頁にわたるもので、権藤の仏教音楽に寄せる思いがよく伝わる。とりわけ音楽歌唱が布教に資することを情熱的に説いており、現場の梅花流師範にとっては有益な資料となるだろう。

はしがき

釈尊の説法について

 (前略)一体、話をするとか、伝えるとか、説くとかいうようなことは、聴覚というものを必然的に前提として行われるものである。聴覚による布教は、布教というものの根本的のものであると思う。又話したり説いたりするのは抑揚があるから、よくわかるのである。抑揚が無かったら、その効果は著しく減ずるであろう。
 釈尊は言葉の抑揚に、さらにある調子をつけて、一定の長さに区切って説かれたのであろう。それがつまり偈となって現れたものと思われる。偈は曲節をつけて説かれたに違いない。即ち諷詠されたのである。そうして言葉に表現された自分の考えを、さらに深く印象づけるために、繰り返し繰り返し諷詠されたものと思う。こうして自分というものが、次第に皆の人に溶けてゆくことを念じられたのであろう。かくしてその目的が達せられ、言葉はただの言葉ではなく、言霊となって深い感情を湛えた音楽となっていつまでも耳に残ったのである。
 釈尊は六十四種の頻伽梵音を有せられたと言われる。この音法を優波離尊者に授けられた。これが今日の声明の源である。聴覚に訴えるものは、何というても音声そのものである。声はその人その人特有の色合いを持つ。その音声はその人を如実に伝える。音声にふれることはその人にふれることである。人間は敬愛するもの声を聴くことによって成長する。子は父母や多くの肉親の愛の声を聴き、それを吸うて育つ。声は愛情となる。自分の肉親や愛人が死んだ時、何が最も悲しませるかを考えるならば、今なお耳に残るその人の声ではなかろうか。わが国では、恋愛の歌のことを相聞というのも、この間の微妙さを告げているものではなかろうか。
 (中略)
 声明が、荘厳された殿堂の仏前で唱えられる時、唱えるものは元より、ここに参集する人々は、この声明を聴いて、ひとしく仏讃の思いをいたすであろう。これはとりもなおさず聴覚に訴える、広い意味の布教といえると思う。勿論、殿堂、荘厳そのものも視覚に訴える同じく広い意味の布教といえるのであるが、これら視覚によるものよりも、声明はより直接的でジカである。ここが声明が仏教の音楽となった起因ではなかろうか。聴覚に訴えるには、楽器の音よりも声明である。それは布教するものの第一儀に考えねばならぬことであると思う。

音声について

 声音は人間の楽器である。(後略)

声の調整について

 (前略)「声楽をいくら勉強しても、あなたのダミ声を変えることは出来ません。ダミ声の人はダミ声なりに、しゃがれ声の人はしゃがれ声なりにただ調整されるだけです」
 ダミ声の人はそのダミ声の真のダミ声が出るようにするのが声楽である、声楽によって調整された声は、人にきわめて自然に、耳障りにならず。その人の心に通ずる。(後略)

歌唱、唱和の力

 (前略)人間は音楽に対してはまことにもろい。無抵抗である。つまり人間は音楽によって、どんなにでも引き廻される。敬虔な心持ちに浸らせたいと思うなら、敬虔なる音楽を、悲しみの気落ちを起こさせようと思うなら、悲しみのあふれた音楽を、聴覚に訴えればよいのである。(中略)
 ここに於て“説く”ことより更に歌うことの重要さを痛感するものである。(後略)

木魚による歌唱、唱和

 (前略)仏教は、うまい楽器を発明したものである。きわめて低音でありながら、その音は我々の心の奥底に響達する。そのリズムは、大勢いる殿堂の中でも、隅々まで到達する。而して少しも耳を刺激しない。極めて柔らかに響いて来る。耳障りにならないで徹する。同じ打楽器であっても、鐘のように余韻を残さない。であるから、勤行のうち、比較的長時間使用される。(後略)

巣鴨刑務所の場合

 (前略)唱和が終わったら、何かうごめくような、つぶやきとも、ささやきともつかない唸り声のようなものが起こって、私が退場するまで、その感動の声は消えなかった。
 この異常なる光景に、私は全く驚いてしまった。今まで学校で、永い間音楽の授業を通して、涙をそそったことはあったが、未だかつてこんな高揚した感激のあふれた光景に出会ったことはなかった。うたというものが、かくも人の心に作用するものか。唱和するということが、こんなにも人の心を感動させるものかということを、あまりにも如実に体験した私は、いよいよこれは捨てては置けないと思うたのであった。(後略)

“うつし世”について

川越少年刑務所の場合

仏教青年伝道館の場合

電話局の場合

火葬場の場合

春秋二季の彼岸法要

和讃、詠歌

 (前略)昨今は、これが仏徳讃嘆とか、在家勤行とかいう根本的理念が非常にうすらいで、形式は法会であり勤行のようであるが、動もすれば唱え方の技巧のみを競い、若しくは詠唱の鑑賞のみに走り、それより一歩も出ないという風な傾向のように思われる。それは詠歌和讃の進歩発達には役立つに違いないが、結果としては詠唱する者自身の慰安娯楽にとどまるものではなかろうか。(後略)

駒澤大学の和讃、詠歌

むすび

 (前略)真の布教教化は、音声であり人そのものであることを再現しておく。