BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

権藤圓立「聴覚による布教の仕方」(7)

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⊿ ⊿ ⊿ 以下、本文 ⊿ ⊿ ⊿ 

 

  川越少年刑務所の場合

 巣鴨刑務所での歌唱指導がきっかけとなって、各刑務所へ行くようになった。
 中でも川越少年刑務所には、毎週一回行った。ここでは所長始め所員皆出席して、収容者と一緒になって唱和した。名は刑務所であっても昭和の時間中は、所長も監守も、教誨師も何もなくなって、刑務所という場所さえも念頭にはなかった。皆歌の中に浸り切ってしまった。まことに無差別平等の世界であった。
 ここでは唱和した歌の好き嫌いの統計を取って、爾後の教材の選択、併せて収容者の思想傾向調査の一助とした。左にその統計を記してみる。勿論現れた数は、収容者の好きな歌である。
 昭和14年度 収容者282名
祖国の柱(大木淳夫作詞 服部良一作曲)      129
海ゆかば(大友家持歌 信時潔作曲)        162
夕の鐘(作詞者不詳 藤井制心作曲)        152
太平洋行進曲(海軍省選定)            148(100以下省略)
 昭和15年度 収容者195名
荒城の月(土井晩翠作詞 滝廉太郎作曲  )    155
海ゆかば                     141
出征兵士を送る歌(陸軍省選定)          129
銃後の楯(野口雨情作詞 藤井清水作曲)      102

 昭和16年度 収容者241名
荒城の月                     179
万里長城の歌(土井晩翠作詞 橋本国彦作曲)    134
海ゆかば                     130
出征兵士を送る歌                 130
太平洋行進曲                   114
誓ひ(作詞者不詳 伊藤定夫作曲)         112
日本青年の歌(乗杉嘉寿作詞 橋本国彦作曲)    110
海洋(風巻景次郎作詞 下総皖一作曲)       110
 昭和17年度 収容者250名
その火絶やすな(北原白秋作詞 JOBK文芸部作曲) 142
南方の歌(塙、佐々木、堀内共作詞 堀内敬三作曲) 128
山の唄(北原白秋作詞 中山晋平作曲)       125
われらは若き義勇軍(星川良夏作詞 飯田信夫作曲) 119
箱根の山(鳥居忱作詞 滝廉太郎作曲)       100

 少年刑務所は、学校とは異なり、出所入所が頻繁であり、既在所者も、機能入所したものも一斉の唱和指導であるため、確実な統計は得られなかったが、20歳前後で殊に刑務所という特殊な社会に居る青年の好む歌の大体の見当をつけることを得た。然しこれは、今次戦争前で、国民が戦意高揚に狩り立てられている時代であるから、教材もそれに随従していることは勿論である。私はこの仕事のために、司法省から嘱託を仰せつかった。その頃司法省には、各レコード会社からの新譜の音盤がどんどん持ち込まれた。それは司法省でレコードによる歌唱教化を奨励していたからである。持ち込まれたレコードは少し趣味のある事務官達が選択して各刑務所へ配布されていた。そこで私は、レコードによる教化は賛成するも、刑務所という特殊なところへは、レコードに限らず歌にしてもおのずと限界があるべきで、教化の面では学校等より特に慎重を要する。若し普通の社会と同じに取り扱うなものなら却って逆効果になる可能性が多いことを上申して、その選択をもやることになっていたが、健康不調に陥ったため、すべての仕事を打ち切ってしまったので、それを果たし得なかったのは、返す返すも残念である。

 

⊿ ⊿ ⊿ 以下、コメント ⊿ ⊿ ⊿ 

 

 画像に掲げたのは、昭和15年、16年と人気投票の上位に入っている「出征兵士を送る歌」の広告です。こうした文面からも、当時の日本社会における戦意昂揚させようとの国家気運をうかがうことができます。しかし権藤師の筆致からは、戦争翼賛の姿勢はあまり感じられず、むしろ歌唱指導を通しての少年刑務所に於ける更正・教化活動への熱意が伝わってくるようです。
 前回(6)で「昭和16年、権藤は肺炎から心臓病を併発して療養生活を余儀なくされ」とコメントしましたが、今回の引用文に見える刑務所収容者へのアンケートが昭和17年まで至っていることを見ると、体調の及ぶぎりぎりのところまで権藤師はこの仕事にかけていたものと察することが出来ます。「果たし得なかったのは、返す返すも残念である」という無念さがじつによくわかるように思います。