BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

権藤圓立「聴覚による布教の仕方」(9)

https://www.youtube.com/watch?v=ANOgrw4SdCk

⊿ ⊿ ⊿ 以下、本文 ⊿ ⊿ ⊿ 

  電話局の場合

 伝道館の小林主事さんの懇望で墨田電話局に歌唱指導を始めたのは昭和7、8年頃と思う。これは小林さんが毎月精神講話をやって居る、その時間を折半してやったものであった。
 墨田局には中央電話局から、歌唱指導には誰かが来ていたのであるから、私のは精神修養歌唱指導ということになわけである。ここでは午後3時が、交換手の交代の時間なので、これから勤めるものは講演を聴き、歌唱唱和を済まして職に就き、勤めを終わったものは講演を聴き歌唱唱和をして帰宅するという仕組みで、講師である私共は同じことを二回繰り返してするわけである。
 私は歌唱を始める時いつも
「こういう建物の中にいることは忘れ、ここに局長さんも居られるけれども、それは局長さんではなく、松の木か桜の木くらいに思うて、広い野原に立っているつもりで歌うてください」
と極めて開放的なことをいうていた。実際交換台に居る間中は器械に閉じ込められて、自分自身も器械になっているのであるから、仕事が済めばこの中から解放することが必要である。歌もこの意味から、いわゆる「つとめよ励めよ」式のものは避けて、自然を歌うもの、そして異国情緒でないものを選んだ。後には「まどいのうた」というガリ版刷のテキストが交換手達の手で、二集までも作られた。その内容を記してみると

第一集
花すみれ(御歌 山田耕筰作曲)
朝の歌(杉崎大愚作詞 末広恭雄作曲 仏教音楽会制定)
少女の歌(北原白秋作詞 山田耕筰作曲)
いざわれら(仏教青年会歌)(四方田康作詞 木村繁作曲)
母とこだま(西条八十作詞 平岡均之作曲)
感謝の朝夕(北原白秋作詞 山田耕筰作曲)
わが家の唄(西条八十作詞 山田耕筰作曲)
河原柳(野口雨情作詞 藤井清水作曲)
白樺の林(林柳波作詞 小松清作曲)
たかきおもひ(西条八十作詞 山田耕筰作曲)
海ゆかば(大友家持歌 信時潔作曲)
東京中央電話局歌(河井酔茗作詞 本居長世作曲)
朝礼の歌(橋本兼利作詞 権藤圓立作曲)
朝戸出の歌(福田正夫作詞 兎束竜夫作曲)
新しき春(西条八十作詞 中山晋平作曲)
胸に日の丸(佐藤惣之助作詞 藤井清水作曲)
椰子の実(島崎藤村作詞 大中寅次作曲)
希望(西条八十作詞 山田耕筰作曲)
浜辺の歌(林古渓作詞 成田為三作曲)
銃後の楯(野口雨情作詞 藤井清水作曲)
孝女白菊(西条八十作詞 平岡均之作曲)

 これら歌集の中、最も愛好されて、精神講話のたびに唱和したものは「河原柳」であった。左にその歌詞を記しておく。

 河原柳   野口雨情作詞 藤井清水作曲

南風吹け 麦の穂に 河原柳の 影法師
もはや今年も 沢潟の 花はちらほら 咲きました
待ちも暮らしも したけれど 河原柳の 影法師
山に父母 蔦かずら なぜにこの頃 山恋し
藪にぐみの木 野に茨 ぐみも茨も 忘れたが
藪の小陰の 頬白は 無事で居たかと 鳴きもした
山に二人の 父母は 藪に小陰の 頬白は
河原柳の 影も見ず 南風吹け 麦の穂に

 私が歌唱を始める時にいうたことについて局長さんは
「とてもいいことをいうてくれました。私はいつも交換手に、交換台につけば器械になれ。前のことを忘れよ、というています。交換するのに、前の番号を早く忘れなければ、次の番号とこんがらかってしまって、交換が非常におそくなってしまいます。また交換台にいる間は器械となっているのであるから、交換台を放れたら、のびのびとなって束縛されない自由な気持ちになるように勧めています。実によいことをいうて下さいました。私はこれから歌唱指導の時は席を外します。私が居れば、あなたがいくら開放された気持ちを強調されても、彼女達は、やはり局長の手前ということを考えますから」
と、それからは局長さんは、小林さんの講話の時だけ出ていて、歌唱指導になると、さっさと退出してしまわれた。まことに賢明なる理解ある局長さんであった。
 それかあらぬか後には講話の時間を短くして、歌唱の時間をなるだけ永くしてほしいという声が高まり、小林さんに気の毒な思いをした。又一方交換手達の動作がどことなしにおっとりして来て、気風が変わってきたと同時に、交換競技には首位を占め通しになったとの局長さんの報告に接して、私はその責務のおろそかに出来ないことを自覚すると共に、歌唱による教化ということの重大さを、いよいよ痛感した。

⊿ ⊿ ⊿ 以下、コメント ⊿ ⊿ ⊿ 

 今回は交換手達の一番人気だったという『河原柳』の音源をアップしました。You Tubeでヒットしたものですが、この独唱の男性は藤原義江というテナー歌手のようです。野口&藤井ときたので権藤師の声で吹き込まれたものもどこかに残っていたらうれしいですね。
 今回は女性達が主な対象だったようですが、ここでも権藤師の歌唱教化の力量をうかがうことが出来ます。
 この引用文のそもそものタイトルが「聴覚布教」を冠したものでしたが、権藤師は、それを理屈立てて説明することに重点を置くのではなく、さまざまな対機に応じて展開する歌唱指導と、その効果を実践的体験として示すことによって、本来の読者である布教者としての曹洞宗僧侶に対し、布教教化方法の具体的取り組みを示していたのでしょう。