BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

権藤圓立「聴覚による布教の仕方」(12・最終回)

⊿ ⊿ ⊿ 以下、本文 ⊿ ⊿ ⊿

  駒澤大学の和讃、詠歌

 昨今大学生の間に長唄謡曲義太夫、花道、茶道に精進するものが多くなったことが、たびたび新聞で報ぜられた。このことについては、私はいろいろ考えさせられていた折柄、駒沢大学で学生自らの発願によって、和讃、詠歌の研究(練習)が始められた。会員は今のところ三十名あまりで少しづつ増加していると聞く。主として宗務庁教化部の小堀博道師が指導されている。私も大学では以前永らく合唱団を指導していたし、先頃は三宝和讃、無常和讃などを作曲した関係から指導に行っているが、その真面目さ、熱心さ、行儀のよさには驚かされている。
 研究会は最初に、威儀を正し、合掌礼拝して開経偈を称えて始める。終わる時も亦合掌礼拝して廻向を称えて散会する。この道師は委員が順番につとめるという。まことに秩序だったやり方である。これらはすべて学生達の自発によって行われている。今までに習得したものは修証義和讃、承陽大師御詠歌、三宝和讃、無常和讃で、鈴鉦の使用迄には行って居ないが、やがて使用することになると思う。それに備えて、私は鈴鉦が詠参加の中で打たれるのは、その雰囲気を作るためばかりでなく、その拍子を的確にするためであること。拍子を的確にするためには、詠歌和讃をしてよく詠唱せしめるものであること。鈴鉦というものは、何がなしに詠唱にただ、ついて打ってゆくものではなく、詠歌和讃をして立派に詠唱せしめるという積極的な重大な役目を持つものであることを説いている。であるから、あるときは膝を打ち、手拍子を的確に打って、鈴鉦を打つところを会得してもらっている。発生発音音程などの練習は、楽器の都合上今は出来得ないが、都合のつき次第始めることにしている。なお進んでは、これらの学問としての研究をも目指して進めたいと念願している。
 かく学生達の積極的発願による和讃詠歌の研究は、大学としても、宗門に取りても、はたまた和讃詠歌界、引いては仏教音楽会にとっても慶賀すべきことであり、大に注目すべきことといわねばならぬ。

  むすび

 以上はとりとめのない報告になってしまったが、多少なりとも、布教教化の参考ともなり得れば幸甚である。なお栃木刑務所(婦人のみの刑務所)国立浴風園等に於ける歌唱指導。ラジオ、レコード、テープレコーダー、テレビ等の使用については、与えられた紙面では到底書き得ないので又の機会にと割愛した。然し器械は所詮器械で、やはし布教教化の補助役に過ぎない。真の布教教化は、音声であり人そのものであることを再言しておく。

 晨朝唱和(夏の一週間)
場所‐寺院の本堂又は教会
   夜明けに釣鐘又は太鼓等で合図、この合図で一般の人々参集。
勤行‐簡潔なもの、参集者一同と共にその寺院主、教会主が導師となる、約十分。
仏歌、讃歌指導‐約二十分。
講話‐仏教賛歌に因むか、敷衍するかしたもの。約十分。
仏教讃歌指導‐約二十分、最後に導師も講師も一同と共に起立斉唱、散会、各自の職場へ

 この晨朝唱和は私の見果てぬ夢である。(昭和28年12月1日脱稿)

⊿ ⊿ ⊿ 以下、コメント ⊿ ⊿ ⊿ 

 何度か繰り返しましたが、前段の文章にもあるように、執筆当時は曹洞宗詠讃歌講活動としての梅花流がまだ始まったばかりの時期でした。この時点では、権藤師の作曲も自身で文中に紹介している三宝と無常の二曲のみでした。この後、月影、浄心、供華、正法、観世音菩薩讃仰、慈光、高嶺、不滅、成道と、発表されてゆくことになります。
 駒沢大学に詠歌和讃の研究会があったということは、この文章で始めて知りました。当時の大学生というと、昭和一ケタ~10年頃までのお生まれの方ということになるでしょうか。会の消息などふくめて、ご存じの方はお教えいただければ幸いです。
 「真の布教教化は、音声であり人そのものである」という結びの言葉には、戦前から戦中・戦後を通じ、社会の各層に対して、音楽歌唱による教化活動に努めてきた権藤師の強い信念が感じられます。

 以上、権藤圓立師「聴覚による布教の仕方」『布教指導叢書第9輯・立体布教』(昭和28年12月10日発行。曹洞宗宗務庁教学局)の全文紹介を終わります。
 これまで私は権藤師に対してごく断片的な知識しかありませんでしたが、今回の文章に接し、あわせて関連の資料などを参照して、権藤師の存在が初期の梅花流に於いて大きな意義を担っていただろうと思うようになりました。当初の梅花流関係者のほぼすべてが宗門寺院僧侶である中で、真宗大谷派寺院出身の音楽の専門家としてだけではなく、熱心な仏教徒であると同時に教化者であり、さらには戦前より続いていた日本仏教音楽界の主要な一人として、その音楽理論や師の人的環境などが、はじめて音楽教化活動を教団の中に位置づけようとする曹洞宗にとって、きわめて重要な役割を果たしたのではないかと思っています。
 ご感想・ご意見などありましたらお寄せいただければ幸いです。
 なお権藤師の文章は、上記の出典刊記を示した上でご自由にコピーしてお使いいただいてけっこうです。