BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

般若院英泉撰述『茶話記』  安永8年(1779)8月上旬

茶話記 

 

左肩に痛み有り、まさに療治せんとして大滝に行き旅宅を假り、或は温泉に浴し、或は滝に打たるる。

 一日、客有り。茶話の序でに問うて曰く、「五六年以前の風説に、ある僧家にて如来を歩行させ光明を放ち、また恋しき死人にあわせけるとなん専らの風説なり。いぶかしいかん」。 

答えて曰く、「これは言うに易けれど、そこもとの器量には及ぶところにあらざれど一二の章を揚げていふべし。」

 素問に岐伯が曰、心は君主の官なり。神明出づと(霊蘭秘典論)。霊枢に岐伯が曰、血気己に和し、栄衛己に通じ、五臓己に成り、神気心に舎り、魂魄ことごとく具わり、すなわち成りて人となる(天年論)。

かくのごとくなれば形の霊なるもの魄と曰い、気の神なるものを魂と曰う。始め胞胎を受けるの時、すでに具足して人間というなり。また死する時は陽の魂は天に帰し、陰の魄は地にかへりて気の神なるものも魂魄にしたがいゆくなりと。

 家語礼運に云く、孔子曰く、人は天地の徳、陰陽の交わり、鬼神の會、五行の秀なりと云々。

しからば人はその始め正しき生まれの人なり。故に一生の間、愛憎怨欲ために深く物に奪われざる端直の人にして、死せる時も愛怨等のために気を結ばざれば、その始め受けし時のごとく魂魄も自ずから天地に帰すべし。これら人は幻術をうけす如何となれば、正は正に帰するがためなり。

 しかあるとまた一等の人ありて、死せる妻子を朝夕に逢見んことをおもふとなともあり。また如来の光明歩行を拝せんと常に願う族もありて、故に彼の僧家にこの二の願いをいう時、旦家のために見せ拝ませするあれば、これ妖術にして誠ならずと知らず。婦人女子の愚昧のもの只願に任せ、思慕の切に逢見せける火に貴とくして信心するもの、偏繋の族、着心の他事をなげうって深く彼の僧家に傾くこと、たとえば世間愛情深着の女人、美男子に恋慕して境を乱り、国法を犯して刑罰に行わるといえども、なお恋着して忘れざるもののごとし。

 かくのごとくの決心なるがゆえに、必ずことによればともがらを結び、すべて人の難事、世の障りを成す幻術としらざればなり。これの術は漢土には多く侍る。

按ずるに、列子周の穆王篇に曰く、西極の国、化人あり。来りて水火に入り、金石を貫き、山川を返し、城邑を移し、虚に乗りて墜ちず、実に触れてさまたげず、千変万化窮め極むべからず。穆王これを敬すること神のごとく、これにつかうること君のごとし。路寝を推してもってこれに居せしむ。化人おもへらく、王の宮室は卑陋にして所とするべからず。厨饌は生臭くして餐すべからず。王の嬪御は 悪にして親しむべからず、と。穆王すなわち中天の臺を改築す云々。日に玉衣玉食を献ず。化人なお舎然たらず。やむことを得ずしてこれに望む。居ることいくばくもなくして王に謁して同じく遊ぶ。王、化人のそでを執りて騰って上は中天にしてすなわち止まり化人の宮に及ぶ。構に金銀をもってし、絡に珠玉をもってし、雲雨の上に出て、下の拠るところを知らず。これを望めば屯雲のごとし。耳目の観聴するところ、鼻口の納嘗するところ、皆人間の有るところにあらず。王、実におもえらく清都、紫微、鈞天、廣楽、帝の居す所なりと。俯してその宮を視れば、累魂積蘇のごとし。自らおもへらく居ること数十年にしてその国を思わざりき云々。王、化人に請て還らんことを求む。化人これを移す。王、虚よりおつるがごとし。既に寤りて坐するところはなおさきの處。侍御はなおさきの人なり。その前を視ればすなわち酒はいまだすまず、肴はいまだかわかず。王、よりて来るところを問えば、左右曰く、王、黙して存するのみと。これ幻術なり。 

穆王深く察せずしてついにもって仏と為す。大なる謬りなり。宮殿楼閣も口に味わうところも、あることをしらず。彼の正雪の丸橋に妖怪を見せし類いにして、いわゆる如来の光明、歩行、死者にあわせ、穆王の善つへし美つへすの結構、丸橋に妖怪も皆ことごとく幻術なり。

当代今日の人は返すがえすも、能く考え思うべし。然りと雖も祖考来格左伝の草を結ぶの輩もあれば、死せる人決して返らざりきとは概して謂いがたけれど、それは誠の感格なり。彼の僧家の及ばんところにはあらず。

 これらの妖術のことは、神儒仏の正道には忌み嫌うところなり。この故、二程全書巻四十(五十四丁)に、明道京兆に守官たりしとき、南山に石仏有り。光を頂上に放つ。遠近娶り観る男女むらがり集まる。政を為るものその神を畏れて敢て止る者なし。子使いてその徒を戒めて曰く、我、官守ありて往くことあたわず。まさにその首を取りて来りてこれを観せしむべきのみと。これより光ついに滅びて、人また懐疑せず。

 これにて知るべし。程子のごとき目の正しき人は、光明を放つ石仏の首を切って我に観せしめよという時、光明消えてなし。これらの類いは妖術にして、在家の男女、愚痴無知の族をたぶらかして己が意をなさんとするものの術なり。程子のごとき眼正しく心明らかなる当世今日、人に官長たるあらば、上に歩行の如来も足を切るべし。光明も消えてうせべし。輟耕録見べし、一人ありて空にのぼり肉を降らせしことも同じ術なり。すべて旅人、旅僧の正しからざる人の一奇事あらば、君子これを近くすべからず。早く追い出すべし。

ゆえいかんとなれば光明放ち、死せるものに逢わせる等のことは、善導大師、圓光大師、諸宗開祖のごとき、天下高徳高貴の高僧ならば如来の歩行も、光明も、また死人にも今日の人に拝させ逢わせることもあらんか。それも希なるべし。いかでか人の願いのたびごとにせんや。それより下つかたの名もなく徳もなき当世僧家の酒肉をほしいままにし、技芸を専らにするものの上のごときのわざには決して疑うべし。必ず信ずべからずと答えければ、客も唯々してさる。

 

安永八己亥年八月上旬旅宿答書

 

秋田県北秋田市 内館文庫資料)