BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

「死者」と「屍体」のこと

 きっかけは、fbf が紹介していたこの記事だった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140720-00050056-yom-soci

 

「映画「おくりびと」で注目された遺体を洗い清める湯灌(ゆかん)を、愛知県内で学んだ中国人女性の呉津娜さん(27)が、上海の葬儀で始めたところ、評判となっている。
 死者への尊厳という日本の文化が中国でも受け入れられつつあるようだ」

 

この情報提供にいくつか思うところありました。
 その一つです。
 このニュースで紹介されている、中国人女性が母国で行って評価されたのは、「屍体処理の際に屍体に対する尊厳の念を持っている日本のやり方」のことです。この情報自体、問題はないと思います。
 私が「思う」ことはこれは仏教葬儀の一部だろうか、ということです。現在、日本の仏教僧侶が「屍体処理」に関わることはどれくらいあるでしょうか。ニュースでも触れられている『おくりびと』自体、「屍体処理」の場面に僧侶は無縁です。百歩譲って、その処理の仕方自体、仏教僧が関わってきたものだとか、「屍体に対する尊厳の念」は仏教信仰が涵養してきたものだ、という考えを検討してみます。
 1)仏教僧侶が屍体処理に関わってきたという考え。
 これは違うと思います。歴史的には屍体に直接触れる場面に仏教僧侶は関わっていない場合がほとんどだと思います。埋葬・火葬、野辺送り、葬具の取り扱いなどは、その仕事に従事する専門の職能者があり、そのノウハウが各地域に伝えられ、古老の伝承として近年まで継承されてきた、と言えるでしょう。そして現在は病院でなくなった場合は看護士が当初のエンゼルセットを行ない、その後は葬祭業者(納棺を主たる業務とする業者の場合もあり)の手に委ねられるのが多くの場合と思います。
 2)屍体に対する尊厳の念は仏教が涵養してきたという考え。
 このように日本人の精神的な側面を仏教思想ないし仏教信仰が形成してきたという考えは、一見妥当性があるように思えます。でもそうでしょうか。以前このグループにアップした明治期の曹洞宗の例
https://www.facebook.com/groups/286667194842778/permalink/305694959606668/
でも、仏教の立場は肉体よりも精神を重んじるとありました。このことはこの時期の曹洞宗に特定されるものでなく、通宗的に、時代を超えて蓋然性があるように思えます。(あるいは神道は死を忌避し、仏教はその反対の立場だった、ということを持ち出す意見もあるかもしれませんが、ここで扱っている問題は神道との対比ではありません)やや細かいことを言えば「死者」に対する観念と、「屍体」に対する観念とは同じものではないだろう、と思うのです。
 このように考えてくると、話題になっている死者への尊厳を貴重にした「日本の葬送」とは、仏教とは無縁のものではないだろうか、という発想にたどり着くのです。さらには、現在、日本の葬送の中で、仏教僧は何ほどの役割をはたしているのだろう、という思いもふくらんできます。私を含めて現在の日本の仏教僧侶は、(ごく例外的な場合を除いて)きれいに死化粧を施された、あるいは清潔な棺に納められた「死者」に対することはあるでしょうが、凛然たる“死”の様相を発する「屍体」に生理的な意味も含めて向き合うことはほとんどない、と言えるように思います。
 さて、この考えには異論も少なくないだろうな。