江戸時代「警策」論議(1)
曹洞宗ギョーカイの皆さんにはよく知られた名前の面山和尚さん。博学にして専一なる求道家ということだけど、この面山さんが警策について持論を展開している。研究畑の先生達にはすでに知られているところだけど、私たちもちょっとそれを聞いてみたい。というわけで拾い読みしながら少しずつのご紹介。
その文章は『建康普説』という本にある(1765刊行)。タイトルは「新たに禅杖を製する普説」という。まずはその冒頭を見てみましょう。
師(面山)曰く「天童浄祖曰く「坐禅は第一切に忌む瞎睡(かっすい)することを。直下に猛烈を先とす」と。
すなわち永平高祖もまた曰く「坐禅はすなわち第一瞎睡することなかれ。これ刹那須臾(せつなしゅゆ)といえども猛壮を先とす」と。
うわ、これ読んだだけでやや引きそうになってしまいますね。天童浄祖とは曹洞宗の開祖・道元さんのご本師である中国・天童寺の如浄さんのこと。瞎睡はいねむり。つまり、“坐禅のときはまずもっていねむりだけはしてはならん。なんつったって猛烈な勢いで坐ることが肝心じゃ”ということでしょうね。そしてこれをうけて永平寺を開いた高祖・道元さんも言う。“坐禅はとにかく眠っちゃだめなんだ。ほんの一瞬の坐禅でも猛壮の勢いこそ第一なんだ”ということでしょうね。
かつて道元さんが如浄さんのもとで修行していた時、坐禅中に居眠りしている修行僧がいた。それを見つけた如浄さん、こっぴどく叱りつけて、そのようすを見た道元さんが、はっと気づくところがあったという。
またある時、如浄さんが天童寺の修行僧達にわびることがあった。“かつてはワシも坐禅中に居眠りしている僧がおれば、自分の木沓でもって思いっきりそいつをひっぱたく元気があったのじゃが、今は老齢のためにそれもままならぬ。お前たちをしっかり指導できぬようになってまことに申し訳ない限りじゃ”と。それを聞いた修行僧達が、もったいなさにはらはらと涙したという。
この話は今でも曹洞宗の修行道場に、真剣坐禅に打ち込むためのエピソードとして伝えられている。厳しいね。
でもこの話を枕に持ってきた面山さんは、この後、坐禅中の居眠りについてやや同情的なことを述べてゆく。