BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

江戸時代「警策」論議(2)

 如浄さんと道元さんの「眠っちゃいかん、猛烈に坐るんだ!」という言葉を紹介したあと、面山さんはこう続ける。

 しかし睡眠は人間の基本的な五欲の一つ。この世で坐禅している以上、睡眠欲から逃れるすべはない。しかもそのねむけは自分で払うことは出来ない、だれか他の人にさましてもらうのは当たり前のこと。
 ずっと昔の、僧侶達が修行生活を共にするきまりの中には、お釈迦さまが定めた「禅杖」というものを使用する方法が書いてある。その作り方を見ると、竹か葦を使って、一方の先を何かで包んでやわらかくして打つ、とある。これは打たれた人が痛くないようにするためである。
 ここに見える「禅杖」というのは坐禅の時に眠けが襲ってきた人に対してそれを覚まそうとするものみたいだけど、「痛くないように」配慮したもの。いわば「バシッ!」と打つのではなくて「ポンポン」あるいは「さすりさすり」というやさしいニュアンスが伝わってくる。いまの警策とはかなりイメージが違う。
 さて、もう少し続きを見ると、禅宗の古い記録では「禅杖」の記録はないけれど、それは坐禅の仕方そのものが昔とは変わったからだと述べ、その上で、今に伝わる「警策」は「禅杖」の元来の意味に基づいたもののはずなのに、そのやり方はずいぶん変わってしまったという。そして次のように云う。

 あたかも刑鞭馬策の類に似たり。

 つまり刑罰で行う鞭打ちであったり、馬の尻をたたくムチのようなものだ、という。この変わりようは一体どうしたことだろう。そして続ける。

 しかるに今、坐禅の指導者ともあろう人が、往々身勝手な解釈をくり広げ、その弊害はひとたび何か起きると取り返しのつかないような驚くべきものがある。

 と言うのである。なにやらかなり不穏な空気。そしてこれに続けて、面山さん当時の警策による蛮行の数々が挙げられる。さてこの後ちとやばいですよ。
(画像は江戸時代の面山さんなら「刑鞭」のイメージはこんなんかなぁ、と添えてみました)
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