BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

江戸時代「警策」論議(4)

 あちこちの道場警策トンデモ話しを聞いた面山さんは、大きくため息をついて言うのだった。

 「ああ、仏祖正伝の綿密行って、こんなことを言うのだろうか」

と。そこで面山さん、『摩訶僧祇律』という文献にあるお釈迦さまのころのエピソードを紹介する。それはある時、禅杖で修行者のあばらの辺りを突いたら、「俺を殺す気か!」とわめいたことがあって、それがきっかけでお釈迦さまは禅杖の用い方を決めたというのである。

 またこんな話しも記している。

 あるところの寺の結制修行では、警策の打撃が非常に強く、警策の折れること数十本に及んだという。それを聞いた行脚僧のあさはかな輩は、行く先々でそのことを話し、修行道場の盛んなるしるしだなどという。まったくバカも甚だしい(原文「愚暗の甚だしき」)。
 またあるところでは、天童寺の如浄禅師がクツで居眠りしている僧を打ったエピソードをとりあげて、警策で打つ古い例だなどという。はあ。まったく、いっときの臨機応変な指導の仕方を万古不変のものと考え違いして、祖師の足跡を慕いその先例にならうなどとと言うならば、中国の祖師・南泉和尚の流れをくむ者たちは、(派祖の南泉がある時にそうしたように)みな猫を切り殺さなければならないだろうし、同じく黄檗和尚の法孫たちは、(黄檗が、盲目の母が自分の足を触って本人かどうかを確かめようとしたのを拒んで母を蹴ったように)みな母を蹴らなければならないだろう。

 

 古今、どうしようもない方たちはいるんだな。で、面山さんはわが曹洞宗のことに話題を移す。

 われわれ道元禅師の門下にあっても、坐禅には『坐禅儀』、経行には『経行軌』と祖師の定めがあるのに、いまの修行僧たちはその教えによらずに、みだりに間違ったことをしている。しかも間違っているのみならず、しばしば祖師の悪口を言い、天にツバするような者までいる。どうしてこれをイタイ状況じゃないなどと言えようか。
 わたしは道元様の法孫である。だから道元様の綿密なる行持の家風にならい、加えてお釈迦様の本意をくんで、ここにあらためて竹を用いて「禅杖」を作成した。製作の定めもあるが、ここではその用法を示して修行者諸兄の注意を喚起したい。このことはただに丁寧にして純粋な仏祖の行持に万分の一でもかないたいためである。大衆諸兄、よく聞いてほしい。

 というわけで、面山さん考案の禅杖の用い方はこのあとすぐ。

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画像はうちの「こども禅のつどい」。いねむりする子はひとりもいなかった。