BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

笹川亮宣師範

東新宿の駅から住宅街の小路を歩く。

塙保己一の眠る墓があるという観音庵。

逢いたかった女性がそこにいる。

笹川亮宣師範。大正13年生まれ。御年91歳。梅花流正伝師範。

昭和26年、野村秀明師、熊倉実参師とともに、曹洞宗尼僧3名が、密厳流詠歌修学のために派遣されたその一人。
当時は20代、現在の齢を迎えても、この凜然としたたたずまい。

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現在は東堂職。

堂頭は笹川悦道師。悦道師も梅花流2級師範。

尼僧としての見識も高く、聡明な印象。

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東京宗務所で編纂した梅花流五十年史『放香半百譜』を事前に読む。

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昭和27年1月護持の教典。

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当時まだ二十代の亮宣師の書き込みがある。

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密厳流を習いに行った先は埼玉県・真言宗錫杖寺。

江連師の名前が出る。

『密厳流遍照講五十年史』によれば、江連師は当時密厳流遍照講の第一人者。

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気になったのは、静岡・丹羽仏庵師等との関係。

曹洞宗で詠讃歌運動はどのように発足したのか。

笹川師は当時、尼僧団の書記をしていて、尼僧団の小島賢道師から指名され、

野村師、熊倉師とともに錫杖寺へ派遣されたという。

この時点ではまだ丹羽師等を知らなかったという。

丹羽師・安田師等と初めてあったのは、第一回詠讃歌講習会(この呼称ははっきりしないが)が東京別院で開かれた時だった(らしい)。

総持寺で(?)検定が行われた時、安田師も一緒に受検した(?)。

それは渡辺禅師の時であったという。

先般、大島師範の話を聞いた時には、

大島師は渡辺禅師の行者(?)を勤めていたというから、もしかするとこの時に笹川師と大島師は出逢っていたかも知れない(佐藤考)。

 

ここで一つの着想。

「梅花流の誕生」を、戦後日本社会における宗教運動の一つとして考えたいとあれこれ思いめぐらしているこのところ。戦時中の全体主義・戦争翼賛的な態勢から、戦後一転して民主平和的路線へかじを切り変える日本に於いて、まさに戦後の復興期に産声を上げた「梅花流」は、さまざまな意味で貴重な役割を期待され、かつ担わされてきたように思う。

梅花流発足以前に、重要な動きとして次の三つがあったのではないか。

1)静岡・丹羽仏庵等による地方からの詠讃歌研究・慫慂の活動。

2)曹洞宗尼僧団による新しい宗教活動としての詠讃歌研究。

この二つ。さらに

3)権藤圓立による戦前・戦中を通じた仏教音楽による布教教化活動

と合流し、誕生したものが梅花流だったのではないか。

1)については、これまで云われてきたことをていねいに検討すればよいだろう。

3)については、権藤の活動の追跡からおおよそのことはわかってきた。

 

2)についてが、これからの課題。

昭和20年代前半からの尼僧団の動きを押さえなければならない。なぜ最初に派遣されたのが尼僧達だったのか。小島賢道の思惑も気になる。戦後における女性の地位向上・民主化運動と連動していないだろうか。

尼僧の相対的地位向上のために、具体的布教手段としての詠讃歌技術の習得を意図した。

戦後という時期は、尼僧団の諸方面における組織的体制固めが進められて行く時期。たとえば、各宗仏教教団に先駆けて尼僧団の組織化が図られ、また通宗的尼僧団連合の要となったのが曹洞宗であった。また曹洞宗尼僧団団歌の制定、尼僧団名簿、尼僧団史の編纂、さらにその中心的な位置におられた小島賢道師の宗議当選など。昭和二十~三十年代の尼僧団の発展は注目すべきものがあるように思える。亮宣師と野村資、熊倉師の尼僧三名が、埼玉錫杖寺へ密厳流詠讃歌習得のために派遣されたというのも、そうした動きの一環だったのではないか

このたび亮宣師より、密厳流への派遣当初は、まだ静岡県の丹羽仏庵老師や安田博道先生達とは交流がなかったこと、派遣自体は尼僧団の小島賢道師からの要請であったこと、の二点を伺えたことは貴重な情報だった。もっとも、その話の他に、当時の資料を精査して、さらに慎重を期さなければならない。教えていただいた「明珠会」(梅花流尼僧師範の会)の展開、戦後の尼僧団の進展、亮宣先生と同時期にご活躍されていた他の尼僧様達の足跡等々、調べたいことはまだまだある。

新たなストーリー作りにつながるか。

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塙保己一の墓参りをしそこなった。もう一度訪れよう。

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でもやはり、丹羽簾芳禅師と尼僧との関係が今少し気にかかるな。