BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

恩愛について 1

 この2~3年、気になっていることがある。

 そのことを考えるためのいくつかの材料を、折に触れて話題にしてきた。

 ここで取り上げるのは初めてかな。

 「肉親への情」のことである。特に配偶者や兄弟、子どもという肉親ではなく、両親に対するそれ。このあとしばしば話題にするように、両親とは言っても、母の方が比率が高い。なにも自分の母のことをすぐに話題にしようとしているのではない。

 仏教者が、その道に入る時に必ず誓う言葉に

 「流転三界中 恩愛不能断 棄恩入無為 真実報恩謝」

 がある。つまり仏教者と恩愛は本来的(原則的)に二律背反である。。

 しかし現実的には、親・配偶者・子と同居しているダブルスタンダードがわれわれの一般的状態。明治五年以来(尤もそれ以前もさして潔癖だったとは言わないが)、世俗化への道をまっしぐらに進んできたわれわれが、この言葉に迷うなんてこと自体、おこがましいか。

 しかしながら怠惰でいい加減が日常の自分でも、どこかに仏教のしっぽがくっついている。だからやはり気になる。黄檗、陳蒲鞋、道元、瑩山、そして日蓮宗の日政など仏教者とその母との間柄を考えることがしばしばあった。

 そんなところへ最近、研究者仲間で(というのもこれまたおこがましい。自分はほとんど戦力にならないのだが、一緒に勉強させてもらっているだけ)読んでいる『江湖風月集抄』に次の詩があった。  

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 「憶母」。詩の内容も、母親への恩情と「棄恩入無為」の間で揺れている禅者の心情が主題。情に傾きやや女々しくも思うが(今気がついたけど、この表現はおかしい。「女々しい」という表現で言いたいことは、ほとんど男の気持ち)、こちらの考えていたこととほぼ重なっていていた。

 夜来憶え得たり出家の事

 煩悩紛々頓に懐に入る

 未だ老いざるに腕頭先ず力に乏し

 愧づらくは古えを宗として蒲鞋を折り難きことを

 「蒲鞋を織る」とは先ほど触れた陳蒲鞋とあだ名された男のことを踏まえている。黄檗の嗣。睦州観音院に住、『睦州和尚語録』あり。諱は道蹤。のち衆を捨て、開元寺の房に住まいし、蒲鞋を売って母を養ったことからくだんの呼び名がある。

 師の黄檗は大義渡の故事で知られ、自らの盲いた母が川の中に没しても「一子出家すれば九族昇天す」とのたまったあの人。寺を出て、自分の母親のために草鞋作りに精を出した睦州は一見真反対のベクトルにあるように思われる。

 しかしちがう。

 母に対して孝養を尽くせるのは、揺るがない本分にしっかりと安座した睦州の大力量にして初めて成せること。俗情だ煩悩だとぐらぐら落ち付かぬのは修行者としてまだまだ非力な証し。詩作者が「愧」じているのはそのことだ。

 禅者としてははなはだ物足りないこの作者。

 『江湖風月集』の抄物のひとつ、『夾山抄』は次のようにこの詩を一蹴する。

 「この頌位低し」と。

 

 そんなことを考えていた昨朝、母が玄関で転んでしたたかに背と腰を打った。外科医に連れて行き診察。まずは事なきを得た。