BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

葛黒火まつりかまくら その5 「歳神と祖霊」

 かまくら行事はご神木の伐採から飾り付け、起ち上げて夜の点火、最後に小さく切り分けて参加者へ分与する、というご神木を中心に次第しているようだが、大事なファクターはまだある。

 ご神木のそばに大きなかまくらをひとつ作り、さらに数十の小さなかまくらを作る。大きなかまくらのまわりにはしめ縄がめぐらされ、「神座」の粧いを見せる。

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 小さなかまくらは2014年には参加した小学生児童が中心になって作ってくれた。

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 ご神木のそばに大きなかまくら、そのそばに50のミニかまくら、そして会場入り口からメイン会場に至るまでの通路両側に作られたかまくらである。

 通路を照らすかまくらの灯りは演出を期したもののようだが、注意したいのは50のかまくら。集落の人たちはこれを、一つ一つがそれぞれの家の分だと言う。実際にはこの時、集落の戸数は20数戸になっていたが、かつては50戸あった。それにならったものらしい。

 係の大人に教えられ、子ども達は作業の便利からバケツに雪を詰めそれをひっくり返して中をくりぬく。ところがこれをみた集落の人から遠慮がちだったがクレームがついた。それは、かつて各家の者たちが作っていた頃は、バケツなど作らずひとつずつていねいに雪を盛って、きれいなドーム型のかまくらにを作っていたのに、これではあまりにぞんざいだという。子ども達のことだから大目に見てくれとあやまったが、このこと自体、このミニかまくらがそれぞれの家にとって重要な意味を持っているものだということがわかる証左となった。

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 ひとつの民俗行事を構成するすべての事象を、漏らさず整合的に説明することは困難・・、というよりも複数の要素が複合あるいは習合して構成されている民俗を、単純な説明体系で理解することは、かえってものごとの本質からはずれてしまう。

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 多くの小正月行事、左義長に関する民俗報告、またその分析が語るように、葛黒火まつりも、歳神迎えの行事であるとともに、祖霊供養の面もあるものと思う。

 ご神木に憑依した歳神を、最後に切り分けてそれぞれ家に持ち帰ることからすると、ミニかまくらを歳神の座と考えることは重複のきらいがある。集落の家の数だけ、そして(ここが重要だと思うが)離村してしまってもかつての集落の戸数だけミニかまくらを作るというのは、そこがそれぞれの家の祖霊の座であることを示しているのではないか。生きている人間は去ってしまっても、祖霊達は集落に残っている、あるいは帰ってくる、と観念されているのではないだろうか。

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 闇夜にともるかがり火に、降臨する神と祖霊、そして現世の人々との交歓。そんなベタなフレーズが浮かんできた。