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BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

葛黒火まつりかまくら考 その6 「まつりの力」

 まつり当日のにぎわいをしばらく置いてまつり前後のことに考えを向けてみる。

 これはおそらく「葛黒」に限らず、どこのどんなお祭りにも共通することだと思うが・・。

 「葛黒火まつりかまくら」が途絶えてから、再開の時まで15年。この間ずっと再開を願い、関係者に打診しては来た。

 それが具体的な動きを見せ始めたのが再開した2月の約2年前。「おさるべ元気くらぶ」の胎動の時期だった。「くらぶ」発足の当初から、このまつり再開は活動目標の一つだった。中心スタッフの一人は葛黒集落の人。だが「いまこっちからぐいぐい攻めていってもまだ無理だ。まず村の人がたの気持ちが熱くならねば」と言う。

 打ち上げ花火のようなイベントではなく。集落の人が前向きになって、そこに協力するわれわれと、将来にわたって持続的に開催していけるものでなければ意味がない。正直、焦れる気持ちは無かったわけではないが、その言葉に従い、まずは私たちの活動が地元の地域活動として信頼を得るために、着実な展開を進めて行くことに心がけ、初年度の活動目標から「火まつり復活」は外した。

 しかしその間も、「まだやるべし」と集落のキーマンたちには慫慂し続けていた。

 そしてくらぶ発足から2年目に入った3月。「今年、夏の常会(集落自治会)さ(まつり再開の提案を)かけてみる」の声。だがここに至るまで、かつて中断するに至った経緯、中断の決議を集落で可決した時の断腸の思い、再開するための物理的な困難さ、それらについて私たちも相応の理解が深まっていたので、たんにイケイケムードで押してはだめなものだと肝に銘じるようになっていた。なによりも必要なのは集落の人たちの再開への意思統一〉というのは私たちの共通理解になっていた。

 夏の常会を前に、役員の中の主要メンバーと会談。火まつり開催の意義を話し、協力を願った。大きな課題であった稲ワラ確保も、大館市の農家からいただけると伝えた。腰は依然として重いが感触は悪くない。だが「まず常会さかけで、みんながいいって言えば、いんだどもな」と。

 常会の結果はオーケー。

 ただし「やってもいいけども、二~三年でやっぱりやめだ、となるのではだめだ。やる以上はずっとやれるようにしてもらわねばね」ということわり付き。だが、「風が吹いた」という実感がわいた。

 続く打ち合わせからは主役は集落の役員たち。なにしろわれわれは実際に祭りを見たのは私ともう一人。あとのメンバーは話しに聞いていたと言うだけ。準備作業に関わったのは集落の人以外誰もいない。ちぐはくな質問が私たちの側から次々に出る。返る答えは「まんず、一回やってみねばわがらねな」であった。

 秋の借り入れが終わると、かねてお願いしていた大館市の農家から「脱穀やるよ」の連絡。あらかじめ予定してた日取りよりも二~三日早い急なことにくらぶのスタッフはほとんど対応できない。だが葛黒の人たちは素早かった。集まってみるとなんとくらぶ員よりも葛黒メンバーの方が多い。申し訳ないやらうれしいやら。ともかく稲ワラ集め開始。

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 だがこの作業、やはり経験がものを言う。手頃な大きさにまとめたワラ束を、手際よくワラで縛り上げて行くのだが、この手作業が私などはほとんど遅い、そのうえきっちり縛れない。ゆるい縛りでは、その後の運搬や積み上げなどの時にほどけてしまい、またやり直しという手間のかかることに。「ほら、こうやってぎっちりまるって、すぐにほどけねようにさねば使わいねど」と檄が飛ぶ。

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 まずはいっぷく。こうした作業と「いやあ、いがったな」という小さな達成感を一つずつ重ねてゆくことが、なによりうれしく、そして大きな実に育って行くと信じている。

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 無事に葛黒の作業小屋へ運び終える。

 ワラ運びはこうしたようすであったが、ほかに撮影はしていないが、まつり当日にご神木起ち上げの際に使う「ハサミ」「まっか付いだ棒」「ロープ」など〈火まつりの七つ道具〉が着々と集落の人たちによって準備されて行く。

 会場整備のために連日のようにトラクターで雪ならしをする。

 関係行政機関、学校、報道機関へ連絡・協力依頼を行う。

 当日の人数把握、昼食、反省会準備の手配。

 かつての小学生児童の作成した絵本の複製刊行。

 などなど、やることはたくさんあるが、いずれもみなノリはポジティブ。

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 火まつり開催の翌日から、テレビ放映、新聞報道などが続き、市内近郊の知人たちからは「なんだか毎日おめがたのところばかり(新聞やテレビで)やっているな」と言われた。

 さらに3月の春彼岸には、葛黒をふくむ当該地域の菩提寺で写真展を行う。

 その後、NHKが復活までの活動を長期取材した記録を、秋田県内の伝統的「まつり」行事の盛衰に重ねて特番放映。

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 ほぼ8ヶ月ほど、この地域では「火まつり」の話題でにぎわっていた。

 ふとふり返って、もしこのまつりがなかったら、この同じ8ヶ月間、この地域はどんなだったろうかと思う。

 よく耳にする言葉だが、「おらほうさだばなんも無え」。まして冬ならば「こんたなんも無えどころさ、しかも冬だばまして誰も来ねえ」。山里にとって、冬の雪の白さは明るい白さではない。それは重く暗い沈鬱するイメージをまとった色になる。もし「火まつり」がなかったなら、その白の重さに、(例年のように)里の人々はおし潰されそうになっていただろう。少なくともこの冬、重苦しい冬の里の空気を明るくしてくれたのは「火まつり」であったと思う。

 まつり行事はたった一日だが、「火まつりをやる」というその一事が、この山間の地に明るい、生き生きとした息吹を送り込んでくれたのだと思う。

 「まつりの力」の偉大さをしみじみと感じている。