よこみち 【真読】 №1 「念珠を摺って祈る」について
「念珠を摺って祈る」で、ちょいと連想するのは「拝む」というしぐさ。
念珠を手にかけているいないに関わらず、そしてお坊さんであるかどうかに関わらず、この「拝む」というしぐさはしますよね。
ほれこのとおりコツメカワウソもにゃんこたちもなかなか上手。
で、この延長上に「手をすりあわせる」という行為があるのじゃないかな、と思ってみた。ほら小林一茶の「やれ打つなハエが手をする足をする」という一句がありました。
もともと「拝む」という行為は、
敬う ・崇める・お詣り・礼拝 etc.
などという心情を示す時の儀礼的行動というわけなんだろうけど、
たとえば、時代劇なんかで農民たちが「お代官さまっ、おねげえでごぜえますっ!」とやっている場面や、重篤の親族の手術を執刀医に頼むときの「先生っ、どうか助けてやって下さいっ!」とやっている場面などを想起すると、感きわまって願い事をする、つまりは
哀訴・嘆願・哀願・懇願 etc.
などの場合、合わせる手にも力が入り、思わず知らずすりすりと手をこすり合わせている場面ありますね。
これじゃないかな、と思うわけです。
諸経典の中に「数珠をすりあわせる」もしくは「数珠をすって音を出す」という典拠がもし見つからなかったとしたら(ま、これから出てくるかもしれませんが)、考えの矛先をふと変えて、この行為は日本人が本来的に持っている哀願する時の自然発生的なもの、と捉えてみたらいかがなものでしょう。
もしこの考えがはずれていないとすれば、「お坊さんが念珠を摺る」というのは、仏教儀礼に由来するものでないということになるかも。
もっとも、今のところ私の勝手な思いつきです。まだ全然傍証する手立てはありません。