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BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

正法日本建設運動 - 戦後曹洞宗教団の布教教化方針について(2)

(1)に続く

 『曹洞宗報』昭和二十七年五月号に掲載の「告諭」と、宗務総長・佐々木泰翁による「平和条約の発効」という文章を次に挙げます。
  
   告諭
 国民待望の平和条約は其の効力を生じ、茲に吾が日本がその主権を回復して独立するに至りしは、衲の頗る欣快とするところにして、吾が宗門の道俗亦斉しく之を慶賀するところならん。殊にその日恰も、高祖大師七百回大遠忌正当法要の日なり。正に仏意の甚深なるを思い感激一入なるを覚ゆ。(中略)
 冀くは、闔宗の緇素、日本国民としての自覚を深め、両祖の児孫としての面目を新たにし、以つて祖国の独立を達成し、その使命を果遂せんことを望む。是れ即ち仏恩に報いる所以にして、又祖国に竭す方途たらん。
 更にこの時に当り、又平和日本建設の礎として祖国に殉じたる戦争犠牲者を念うや切なり。須く懇ろにその英魂を弔い、其の遺族を慰めざるべからず。
至祷至嘱
    昭和二十七年五月一日
曹洞宗管長 高階瓏仙
宗務総長 佐々木泰翁
総務局長 本多喜禅
教学部長 金剛秀一
(宗報・二七〇五・通巻二〇五)

   平和条約の発効
宗務総長 佐々木泰翁
 終戦以来八年八ヶ月の久しい間、我が日本は連合国軍の占領下に置かれ、従って凡ゆる部面に亘って種々の制約を受け、言い知れぬ重圧を感ぜざるを得なかったが、国民は辛苦自主克くこれに耐え、為に彼我の関係も比較的円滑に運ばれ、相互の信頼が意外に増進したことは、日本及び日本国民にとって倖いであったと言わねばならぬ。(中略)
 然る処、昨年九月サンフランシスコ会議で締結された平和條約が去る四月二十八日を期して、その効力が発生し、日本が主権を回復して独立を実現し、外再び国際場裡に登場し、政治上、経済上列国と対等に修交関係を進め、内行政を初め、各分野に亘り全て自主的に処理し得るに至ったことは、寔に欣びに堪えない。(中略)
 併し乍ら、如何に平和條約が発効しても、それだけでは真の独立とは言い得ない。国民が自主尊重の気風に燃え、独立国家としての自覚に生き、更に漸次自己の力で国家を防衛し得るに至って、初めて真の独立が成就される。否な、国民の道義を昂揚し、文化を開展し、平和思想に徹底し、民主政治を確立してこそ、文化国家、平和民族として列国に伍し、その尊厳と信頼とを博することが出来る。(中略)
 この意味に於いて、職を国民教化に置く者は、国民の気風を振作し、殊に長年の占領下自ら他力依存に堕し、安逸享楽に走った民心を粛正し、社会を浄化することに努め、更に祖国を今日の悲境に陥らしめたところの固陋なる超国家主義の復活を抑制するとともに、その健全なる再建設を妨げるところの危激なる暴力主義の横行を防止する為に、国民の各級各層をして正法の中道に依らしめ、禅的信念に生きるよう慎重なる考慮のもとに、真剣に教化に当たらねばならぬ。(中略)
 如何に政治的に、経済的に再建設されても、その内に居るところの国民にして依然我慾我執に囚われている限り、本当の再建設は不可能であり、真実の平和は当来せず、理想的民主社会は実現されない。茲に日本を再建設し、延いて世界の文明に貢献するために、正法中の正法たる禅に拠る国民の教養を昂める必要があり、延いて我が宗教職者の任務がある。(中略)
 これを要するに、独立を機会に、国民の心機を一転せしめ、祖国の再建設、否な新出発をして遺憾無からしめるよう、全国民の協力一致奮起を希うとともに、これを指導し促進すべき使命を有つ寺院住職の蹶起を望む次第である。斯くて、正法の顕揚に依る祖国の興隆を図り、世界の平和と人類の福祉に寄与せんとするものである。(宗報・二七〇五・通巻二〇五)

 先ず「告諭」ですが、独立と大遠忌、この二つが明瞭に意識されていることはご覧の通りです。ただここで「仏恩に報いる」ことと「祖国に竭す」こととが同じ意義を持っているという表現には注意しておいてよいと思います。また「平和日本建設の礎として」「戦争犠牲者」と「英魂」を供養し、戦争犠牲者の遺族を慰安するという表現も注目すべきと思います。
 戦争また戦争従軍者を「英霊」「英魂」として祭祀供養することについては、人権的視座から慎重に批判的検討を行いつつ論を進めるべき、と私は考えています。けれども今日の限られたこの時間は、梅花流の成立を戦後の曹洞宗教団の動きを背景に考察するという作業に充てることにして、後者をひとまず優先する課題とし、前者の問題はプロジェクトの研究協議の際に取り上げることといたしますので、この点ご了解願います。
 次に「平和条約の発効」(以下、平和)ですが、ここに展開される内容は「告諭」に比べて詳しく丁寧であるばかりでなく、「告諭」には見えない概念を提示していることにおいて注目すべきものと思います。「平和」は、独立が果たされ、また国内は政治的・経済的な面では相応な回復を見るに到ったが、精神的(=民心・気風・心機)にはいまだしであるので、曹洞宗宗教者はそのために教化に精励しなければならない、というのが概ねの趣旨ですが、ここで佐々木宗務総長が示す「正法」という言葉が重要であると思います。これは「告諭」には(引用を省略した箇所にも)なかったものです。ここでは正法は「正法中の正法たる禅」と言うように、禅の教えと同義語のように扱っています。そして「正法の顕揚に依」って「祖国の興隆」と「世界の平和と人類の福祉に寄与」しようとするはっきりとした方向性を打ち出していることに特徴があると言えます。
 この方向性は、二ヶ月後に具体的な運動方針として打ち出されることになります。それを見る前に、当の問題であった「梅花流詠讃歌」の動きをここで簡単にふり返っておきます。
 『梅花流指導必携・解説編(資料)』(平成二十五年五月三十日改訂第四版、曹洞宗宗務庁伝道部編)「Ⅰ梅花流のあゆみ・梅花流年表」によって、主な出来事を列挙してみます。

 昭和二十五年 四月 静岡県洞慶院丹羽仏庵師、高祖七百回忌記念事業として御詠歌講の創設を宗務庁に要請
 昭和二十六年 二月 佐々木泰翁内局成立
 六月 曹洞宗の外郭団体として発足(御詠歌の研究会)
 七月 初の詠讃歌研究委員会
 十月 歌詞原案成る 各流詠讃歌公聴会(密厳流を基本とすることを決定)
十一月 歌詞・曲決定 流名「梅花流」と決定
昭和二十七年 一月 第一回梅花流講習会 『梅花流詠歌和讃教典一』発行
 四月 高祖大師七百回大遠忌
十一月 第一回奉詠大会 第一回検定会
昭和二十八年 一月 梅花講理事会開催
十一月 第二回奉詠大会
昭和 三十年 五月 「梅花流正法教会」として発足
昭和三十七年 六月 梅花流正法教会解散、「曹洞宗梅花講」として曹洞宗宗務庁社会部所管になる

 以上の次第はこの後度々ふり返ることになりますが、先ずは今話題になっている昭和二十六年から二十七年にかけて、梅花流の流名が決定し、また大遠忌の年に第一回奉詠大会が開かれるなど、昭和二十七年が梅花流にとっても画期であったことを確認しておきます。なお、この年表で見るように、当初は外郭団体の詠讃歌研究会として発足し、梅花流正法教会となった時点でもまだ正式な曹洞宗の内部組織でなはかった梅花流が、宗務庁所管の組織となるのは昭和三十七年のことです。ですので昭和三十七年以前の梅花流の動きについて、『曹洞宗報』では直接的・具体的なことがわからないのが実情です。今日の私の話の中でも、梅花流の周辺の動きが主な話題となっていることはそのような理由からです。