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BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

正法日本建設運動 - 戦後曹洞宗教団の布教教化方針について(3)

※(2)につづく。

 

 けれども佐々木内局において、宗門の教化方針の中で詠歌和讃の活動を推進しようとしていたことは確かめることが出来ます。それは次の『曹洞宗報』昭和二十七年五月号の「第六十九次曹洞宗通常宗会議事速記録」中の総長演説に見えます。

                          宗務総長演説 佐々木泰翁
「(前略)なお教化活動の一部門として、詠歌和讃の普及をはかることに相なり、すでに一部においてこれが講習会を開きましたが、順次これを全国的に催す予定であります。(中略)各宗派の善男善女の間における一種の詠歌熱を見まするとき、これら大衆の趣向に乗じて、両祖の教法をきわめて平易に詠歌和讃に表わし、これを通じてその信仰を喚起することは、必ずしも無意義ではないのみならず、これによって、かえって宗門護持の熱意を抱かしめるのではないかと信ずるのであります。よって新たにこれが普及とその組織化の機関を設け、本宗独自の詠歌和讃を制定刊行するとともに、その使命を発揮せしめることにいたしておるのであります。」
 「(中略)かく考え来たりますとき、その任を国民教化に担います者は、これらの諸情勢を徹見して、正法による民心の指導に挺身し、相ともに祖国の再建設を携えしめ、ひいて国内の平和を確保することはもちろん、さらに世界平和の将来に邁進せしめねばならぬことを痛感いたします。ときあたかも本年は、高祖大師七百回忌の御征当を迎え奉りまするが、その児孫たる私どもは、ここに覚悟を新たにし、宗風の挙揚すなわち禅的信念のもとに、民心の安定、社会の浄化に貢献し、もってこの国土を荘厳し、いわゆる筋金の入った文化国家を建設しなければならぬのであります。かかる聖業に精進いたしますことこそ、高祖大師海嶽の恩徳に報い奉るゆえんであり、また真に大遠忌を奉讃する道と信ずるのであります。(後略)(宗報・二七〇五・通巻二〇五)

 引用の前半部で詠歌和讃の普及について述べていますが、おそらくこれは、曹洞宗教団内で公式に、詠讃歌活動について述べた早い例ではないかと思います。そしてここに見るように、詠歌和讃とは「両祖の教法」を平易に敷衍するための布教教化活動として勧められたものと確かめられます。また後半部では先に挙げた、大遠忌を契機とした正法による日本建設という趣旨を敷衍していることが確認できます。
 それでは以上の発想を具体化した、佐々木内局による教化運動方針の実際を見てみましょう。それは『曹洞宗報』昭和二十七年七月号の巻頭に掲げられた次の文章です。


 「正法日本建設」運動の實施について
                            宗務総長 佐々木泰翁
 吾が曹洞宗では、今年度の社会教化運動として「正法日本建設」なる幟標のもとに、全国的にこれを展開することとなり、這般開催せる布教教化審議会にこれが具体案を諮問したところ、慎重に審議された結果、その答申を得た。その内容は別項掲載の通りである。仍って、宗務庁は関係各機関は固より全国の寺院教師の協力を請ひこれを實動化すべく、目下着々準備中である。
 抑々「正法日本の建設」なる旗幟を掲げることにしたが、実際は斯かる運動は半歳や一年で徹底するものでもなければ、又完了するものでもない。蓋し、吾が曹洞宗にとって、国家的には「正法日本の建設」更に国際的には「正法世界の建設」こそは、その根本的理想であるがそれは決して一朝一夕にして成就するものではない。されば、苟も吾が宗侶たる以上、永遠不断の運動として年々歳々継続し実践しなければならぬからである。ここに言う正法とは勿論大聖仏陀の根本法であり、仏教の第一義諦であり、而して高祖承陽大師これを正伝し、太祖常済大師これを紹述し玉えるそれに外ならない。従って「正法日本の建設」とは、教主釈尊より嫡々正嗣せる仏法即ち曹洞宗義に立脚せる理想社会の建立であり、この地上に正法国土を顕現することである。(中略)故に「正法日本建設運動」はこの理想が一日も速く実現するように、又一歩でも多く前進するように、民心を指導して、今次運動の標語たる「明るい日本、正しい信仰、仲良い生活」の確立へと、その基調たる宗風を最高度に宣揚し、これに依る信念を強力に策励する運動であり一言にしてこれを示せば本宗宗義の徹底運動である。(中略)
 勿論、大遠忌の奉讃と正法日本の建設とは、その趣旨、目的を稍々異にするとは言へ、本宗宗義に依る社会教化運動たることに於いて全くその軌を一にする。(中略)
 顧るに、戦後既に七年に及び、平和條約も発効し、祖国日本は独立を回復して国際場裡に再登場し、人心も漸く落ち着かんとし、社会の秩序も大体保持されるに至ったが、しかし、一面依然として暴力主義による凶悪なる事態の頻発は又復世相を険悪化しつつあることを憂うるとともに、他面いわゆる新興宗教の汎濫は一層民心を混迷ならしめつつあることを惧れざるを得ない。(中略)
 問題は全宗侶の熱意如何であり、努力如何である。茲に亦「正法日本建設運動」展開の重大なる意義が存する。即ちこれを別の観点から言へば、険悪なる世相の粛正運動であり、横行する迷信の打破運動である。然らざる限り明るい日本も、正しい信仰も、又仲良い生活も実現するものではない。
 それ故に、闔宗の寺院住職教師各位はこの運動の趣旨を理解され、挙って協力支持されんことを希うて已まない。(後略)(宗報・二七〇七・通巻二〇七)

 ここに上来の佐々木総長の主張が、より具体的に整理されて提示されていることが認められます。実質的な「正法日本建設」運動の開始宣言です。全体の趣旨はほぼ先ほどの佐々木総長の文章と同様と言えます。「正法」の語について、先ほどの「平和」では、禅と同義という程度の抑え方でしたが、ここでは「正法とは勿論大聖仏陀の根本法であり、仏教の第一義諦であり、而して高祖承陽大師これを正伝し、太祖常済大師これを紹述し玉えるそれに外ならない」と明瞭な定義が施されています。
 そしてなによりも梅花流に関係するみなさんにとって注目すべきは、この運動の標語として掲げられている「明るい日本、正しい信仰、仲良い生活」でしょう。言うまでもなくこれは、現在梅花流で掲げるところの「お誓い」、すなわち
私達は梅花流詠讃歌を通して、正しい信仰に生きます。
私達は梅花流詠讃歌を通して、仲よい生活をいたします。
私達は梅花流詠讃歌を通して、明るい世の中をつくります。
以上の三つに酷似しているものです。ごく自然に考えれば梅花流のお誓いは、この三つの標語がもとになっているのではないか、と誰でもが考えるところだと思います。しかし今日お集まりの諸先生にはご存じのように、梅花流関係者が今日参照することのできる『指導必携』はじめ、いくつかの参考書のどこにもそうした歴史的経緯を記したものはありません。そのことの是非は目下の問題ではありませんので、ここでは問わないことにします。ここではもうしばらくこの時に打ち出された「正法日本建設」運動について、当時の状況を見ていくことにします。
 引用文中に見えるように、この運動は布教教化審議会の答申を得たもので(答申文は引用を省略)、いわば宗門の統一的教化方針としてこの理念が採択されたわけです。そしてこれ以降、宗門内から発する教化施策や現場での布教法話はすべて「正法日本建設」をテーマとして展開しているような様相を見せます。
 たとえば同じ昭和二十七年九月号には次のような布教法話が載せられています。   
   明るい日本、正しい信念、仲よい生活(三帰と三心を中心として
                          大阪青少年教化員 西岡祖学
一、明るい日本。我が国も、今や講和の一周年を迎えまして、あらゆる面に於いて、落ち着きと明るさとを加えて参りました。戦時中より戦後にかけての苦しい過去の日本と比較しまして、まったく隔世の感が致すのであります(後略)(宗報・二七〇九・通巻二〇九)

 引用の後は、ふだんの生活においてかかる三つのスローガンの実践が、よりよい信仰的な生活になり、ひいては地域社会をそして国全体をよきあり方にしていくという趣旨です。一部のみの引用ですが、ここでは文章の内容よりも前の三つの標語が、このような形で布教法話の主題として展開されて行く事例として確認いただければよいと思います。つまり正法日本建設という運動が、国家的な大上段に構えたものではなく、檀信徒を対象とした日常的な法話活動の場で展開される、具体的・実践的な例と捉えられるものです。ここでは一例のみ挙げますが、この後にもいくつかの実践例をご紹介いたします。