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BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

正法日本建設運動 - 戦後曹洞宗教団の布教教化方針について(5・終)

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 このように昭和二十八年も、正法日本建設運動は、曹洞宗教団の宗是のように展開しているのでした。同年三月号の『宗報』(第二一五号)では佐々木宗務総長が「正法日本建設運動の強化に就て」と題して、その運動方針を再び強調し、加えて同年八月号では、高階瓏仙管長の「教諭」と佐々木総長の檄文によって三度びこの運動を徹底ならしめんことを宗門に訴えています。

 教諭
 さきに正法日本建設教化運動を起こすや道心各位の心からなる協力を得て、その成果を上げつつあることは誠に感謝に堪えない。而して之れが普及徹底を期するには、更に断えざる精進を続けねばならぬ。
 思うに新日本の建設は先ずその理想精神の確認が必要である。所謂民主的文化国家の実現は近代諸国共通の目標であって、一国の理想精神を示すに十分でない。凡そ一国の理想は、その国の歴史と事情とに基づいて万国に通ずる道理に契うべきである。ここに敢えて正法日本の建設を提唱する所以がある。
 正法は万有の実相人生の帰趣であって、大聖釈尊之れを正覚し、両祖大師之れが真意を伝えて教化の大本を示し給うたのである。正法の行われる処、公明にして曇りなく、中正にして偏らず、和合して争わざる社会を実現し、真に平和な仏国土を成就する。
 願わくは十方の各位、この信念を益々昂揚して正法国家建設の運動を達成せしめられん事を懇望する次第である。
    昭和二十七年七月二十日 
                  管長 高階瓏仙(宗報・二八〇八・通巻二二〇)

 正法日本建設について再び闔宗に訴える
                            宗務総長 佐々木泰翁
 終戦既に満八年を閲し、旧連合国と日本との間に於ける平和條約が発行し、日本が独立を回復して早くも一年有四ヶ月に及び、この間各方面に於ける復興は着々として進み、ある面では果たしてこれが敗戦日本の様相であるかを疑わざるを得ないほどに戦前とは却って盛んなるところもあり、国民大多数の生活水準亦戦前に復しつつあると伝えられるなど、外形的には復興ほとんど成れりの感がないでもない。(中略)
 言うまでもなく、正法日本建設とは大聖釈尊に依って開闡されたる正法であり、更に高祖、太祖両大師に依って伝承体現されたる宗義である。従って、正法日本の建設とは曹洞禅の教義、信仰を基調とせるところの祖国の再建設に外ならない。(中略)
 斯くて、全宗門を挙げてこれに努力したならば、仮令ここの寺院、教会としては一隅の光であっても、これを綜合したならば、軈て巨大なる光明と化し、国民に理想を持たしめ、民心を安定し、道義を実践ならしめることとなり、自ら民主国家、文化日本が訪れ、即ち正法日本は燦然として、この地上に生まれるであらう。吾々曹洞宗宗侶はこの光栄ある任務の果遂に向かって相俱に蹶起奉仕することを衷心念願懇祷して已まない。
 管長猊下の教諭を排し、所願の一端を披瀝し、敢て闔宗に訴える次第である。(宗報・二八〇八・通巻二二〇)

 「教諭」を見ると、ここには前に挙げた『傘松』同年一月号の佐藤泰舜禅師による「公明・中正・和合」という説明が反映されていることがわかります。宗門の教化理念が、次第に複数の手を経て修正され展開して行くようすを認めることができます。
 「再び闔宗に訴える」からは、前年から開始されたこの教化運動が着実に成功を遂げ、さらにこの路線を継承強化することに、教団が自信を持って推進しようとしている姿勢がうかがえるように思います。
 以上によって見ると、昭和二十七年から二十八年というのは「正法日本建設運動」という曹洞宗教団の明確な教化理念が、宗門の布教教化方針を席捲した時代であり、実際に教団の各階層・各方面においてそれは展開され、また曹洞宗管長、永平寺貫首、宗務総長という宗門上層部において繰り返しその意義が強調、敷衍されてきたものであることがわかります。

 今一度、先ほどの「梅花流年表」ふり返っていただきますと、まさにこうした時代に梅花流は初動期の基礎作りをなしていたことが確認できるのです。そして改めて認識しておくべきことは、こうした「正法日本建設運動」の理念を体現すべく、梅花流は発展してきたということです。
 昭和二十七年十一月の第一回奉詠大会は、曹洞宗だけでなく他宗各流合同のものでしたが、重要なのはその大会理念でした。大会に冠せられた名称は「正法日本建設祈願全国各流奉詠讃仏大会」でした。また翌昭和二十八年十一月の第二回大会の名称は「正法日本建設浸透詠歌和讃奉詠讃大会」だったのです。曹洞宗教団に新しく生まれた「梅花流詠讃歌」は、まさに「正法日本建設」という宗教運動理念推進のもとに、全国に向けてその産声を発したのでした。
 最後に、正法日本建設運動の標語と梅花流のお誓いの関係について、次の資料を挙げましょう。「お誓い」が梅花流ものとして成文化されるのは、昭和三十年代の半ばなのですが、これは、昭和三十五年、梅花流の歌詞及び詠唱の立脚点などについて、文書によって解説敷衍する「解説シリーズ」と銘打って『梅花』という小冊子が連続刊行(第一号より第五号まで)されたことがありますが、その第一号に掲載されているものです。

 行じぬく修行
                                  大賀亮谿
  (前略)依って関係各位は解説シリーズによって、其の趣旨を領得し梅花流作法規範によってその意のある所を得悟し以って言行一致の梅花流詠道修行に邁進し、祖道の為に祖道を行じ、諸人をして「正しい信仰」を得せしめ「仲良い生活」に入り「明るい社会」の建設に意を注ぎ「正法本建設」に師範としての本来の面目を発揮したいものである。(昭三五、三、下田港会場ニテ)
(『梅花』第一巻第一号 昭和三五年五月十五日発行、梅花流正法教会総本部)


 大賀亮谿師は静岡県・見性寺のご住職で、昭和二十六年当初から丹羽仏庵師等と詠讃歌研修を始めていた梅花流胎動期の中心的メンバーです。奇しくもこの文章を発表された同じ年の八月に急逝されました。この文章によって、少なくとも「お誓い」が成文化された当初は、梅花流で三つのお誓いを唱えることは、まさしく「正法日本建設」運動の理念を継承しているものであったと言うことができるでしょう。

 以上に検討してきたことは、それぞれの時代の一次資料に依ったものであり、戦後における曹洞宗教団史の偽りのない一面です。けれどもこれまで梅花流を学ぶ場においてあまり取りざたされることのなかった問題でした。しかしながら、梅花流の生まれ来たった足跡が、述べてきたような戦後の日本社会を背景とし、その荒廃した国土・人心をいかにして回復していこうかと模索してきた宗教運動と切り離せぬものであったということを知ることは、今日、梅花流詠讃歌活動という布教現場を担う者として、大切なことだと思います。
 途中触れましたように、戦争と人権に関することなど、このままでは不備な面も多々ございますが、そうした面の検討は今後の作業に委ねさせていただくこと致しまして、先ずはここまでのお話しとさせていただきます。
 ご静聴ありがとうございました。 

⊿(1)でお断りしたように、この文章はもと口頭による報告を文章化したものです。

⊿あくまでも報告者(筆者)個人の見解を示すもので、公的なものではありません。

⊿梅花流に関わるみなさんはもちろんですが、戦後社会史、宗教教団史などにご関心の方々から、ご批正・ご意見いただければ幸いです。