よこみち【真読】№8「多面多臂なる神さま」
三宝荒神のお題でよこみちに逸れようとしてふと考えた。
荒ぶる神としての「荒神」は本編の次の項目で用意されている。
竈の神としての「荒神」は本編の次の次の項目で用意されている。
曹洞宗における三宝荒神の話はいろいろあるのだが、いささか先客が多く、二番煎じが苦手な自分としてはやや遠ざけておきたい。
(チベット 十七-十八世紀)
ではいっそのことそもそもの初めのあたりのことを取り上げようと思う。初めというのは三宝荒神が史上に出てくる役行者の頃、というよりも「そもそも」日本における仏像や神像の初めとは、というあたり。
三宝荒神とは、本編が語るように、またその名の示すように、仏教を衛護する神である。が、これはインドや中国経由で日本に来たりて帰化した神ではない。純粋な(この形容も問題なしとはしないが)和製仏教衛護神である(らしい)。この和製というあたりに少々こだわってみたい。
八百万の神と言われるように、日本の神さまにもいろいろあるが、「多面多臂」なる神さまってどれくらいいるだろう。・・・。あれ? いるか?
じゃ、仏教の方にはどれくらいいるか? ということになればポンポンといくつかの答えが浮かんでくる。
まずは仏像ガールたちにも人気の阿修羅。
そしてこれもポピュラーな十一面観音、千手観音、その合体も含むバリェーション。
こんどは、インドのカーリー女神や
チベットのほとけたち。
(チベット 十四世紀前半)
そのキャラクターは違っていても、身体的特徴は「多面多臂」という点において共通している。
もういちど日本の神さまを確認しておこう。
日本神話に登場する天神七代・地神五代の神々、後世に描かれるそれぞれの姿はみな人間のそれと変わらない。「後世に描かれる」と言ったのは、当初は神話の中で「語られる」だけで形象化されることはなかったからで、正木晃氏の言うところでは、これが具象化されてくるには空海の存在が大きかったとか(正木「神の図像学-その誕生と展開」山折哲雄編『日本の神3・神の顕現』1996)。その辺のことは詳しく知らないのだが、たしかに今に至っても日本の神を描く際には、みなわれわれと変わらない人の姿をしている。
(こうの史代『ぼおるぺん古事記(一)』2012。イザナギ・イザナミもそうだが、天の岩戸の前でアメノウズメの踊りに興じる神々の誰れ一人として異形の姿で描かれていない。たとえば場面は違うが、涅槃図で釈迦を取り巻く者たちの姿とはかなり違う)
ここで思うのは「多面多臂」の姿は日本の伝統的なものではなく、外来のものではなかったかということ。
ご存じのように、仏教ももとは異国の教え。仏菩薩たちは当初「蕃神」と呼ばれる外来の神だった。人間の姿がモデルの釈迦像と、十一面観音や千手観音あるいは明王のいくつかなどの「多面多臂」の仏像とが、日本へ伝来してきたのにはおそらくそれぞれのタイムラグがあると思うけど、後者の異形の仏像に、日本人はびっくり仰天したと思う。まるで異なるスタイルと世界観を持った仏教という異教の驚異は、今からは想像も出来ないくらいの衝撃だったと思うんだな。
やがてその驚きが沈静化し、あまたの出来事を経て仏教が日本に馴染んで(あるいは泥んで)来るようになった頃、求められたのが「日本製の仏教擁護の神」だったのじゃないかと考えてみた。
三宝荒神の、みな別の道具を持つ六本の手、そして表情の異なる三つの顔、それらが日本の先行例の中には見えず、仏像のパロディだと察することはたぶん多くの人が気づくところだろう。しかも名前は仏・法・僧の「三宝」である。
本編で語られるように、賞罰の力が強調されるのは「蕃神」と言われた頃の記憶を引きずっているようにも思う。役行者との関係もそうだが、のちに各宗の寺院や僧侶たちと縁を結んで祀られるようになるが、その優劣、主従の関係も微妙にちがっているらしい。そんなところに、かすかだが三宝荒神像に投影された〈仏と神〉との緊張関係をうかがえるように思うのだけど。