BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

【真読】 №10「春秋の彼岸の仏事」 巻五〈雑記部〉(『和漢真俗仏事編』読書会)

webテキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号48

1c6e1916.jpg (640×480)

 問う、「春秋の中の時節を彼岸と名づけ、仏事を修し、善根を作す時とす。そのゆえいかん」。
 答ていわく、「これに三説あり。これより列(つらね)て示さん。
 第一説に云く。“それ仏法は中道を祟(たっと)ぶ。この時節は昼夜等分にして、長短無く、まことに中道の時なり。ゆえに仏事を修する佳節なり”と。
 第二説に曰く。“『提謂(だい)経』並びに『浄土三昧経』に八王日に善を修する事出たり。しかるにこの八王日、今の彼岸の節あたれり。これに依ってこの経を本拠とす”と。
 八王日とは、かの経云く、“立春と、春分と、立夏と、夏至と、立秋と、秋分と、立冬と、冬至と、これを八王日と謂う。これ天地の諸神、陰陽交代する時なり。この日にあたれば梵天、帝釈、鎮臣三十二人、司命、司録、閻魔大王、八王使者、ことごとく出て、四方を巡り見て、人民の善悪を行ずるを校(かんが)え録(しる)す。地獄の王も輔臣を出して罪あるものを記さしむ。前齋日(十五日なり)と八王日とには過(とが)あれども、福勝(すぐれ)たる者には赦(ゆる)さる。後齋日(二十日なり)に至ては、必ずその犯罪及びその人の名を録(しる)してその寿(いのち)を減じ、死日を剋(さだ)む。地獄、この記録を承けてすなわち獄鬼を遣わす。しかるに獄鬼、無慈悲にして死日いまだ到らざるに、強いて悪を造らしめて死を催促す”と云へり。かかる謂われをもって、一年の八王日には善を修せよと教え玉う。
 第三説に云く。“善導大師の『観経の釈』より起これり。かの『釈』に云く、(『観経』正宗分、定善義巻の三、二葉に出づ)念仏して西方往生の願行をなすには、冬夏の両時を取らず、春秋に二節を取る。そのゆえは仲春(二月)・中秋(八月)は、正東より日出でて、直西に没(い)る。しかるに弥陀仏の国、直西日の没る処にあたる。ゆえに弥陀の在所を、衆生に正しく指し示して、往生の願を遂さしむと云へり。今これに依てこの時を彼岸の節と名づけて往生の業をなさしむる時とす”と。
 愚、按ずるに已上の三説各々采(と)るに足れり。なかんづく第三の『観経』の釈よしとす。
 問う、「なにゆえにか彼岸と称(なづけ)たるや」。
 答て云く、「梵語の波羅蜜多を到彼岸と翻ず。謂うところは、穢土のこの岸より、煩悩生死の中流を渉りて、涅槃の彼岸に到るの義なり。しかれば今彼岸と称(なづく)るは、因中説果の得名なり」。