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BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

【真読】 №11「竈神」 巻一〈祈祷部〉(『和漢真俗仏事編』読書会)

webテキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号16

d0094150_140514.jpg (800×532)

 竈神の事実、俗書の中に多く出たり。
 その一二を出ださば、
 『太上感応編』に云く、「月の晦日には竈神もまた天に上って人の善悪を奏す。(注)江西の兪都、字(あざな)は良臣と云うもの、学を好み、善を行う。五子ありしに四子同時に死す。妻、悲しみ哭(な)いて盲(めし)いたり。兪都、貧窮にして自ら怨む。毎年文を作りて、竈神に吾が不幸を天奏したまえと祷(いの)る。
 四十七歳の除夜に、一角皀服の者、忽(たちま)ち見(あらわ)れていわく、“君が怨み、上帝を瀆(けが)せし。ゆえに罰を受けることなお多かるべし。汝が平生を察(み)るに、貧にして苦しみ、人を妬み、淫念絶えず、己を高ぶり、人を卑しみ、種々の悪念多し。天罰容(ゆる)さず。なんぞ福を祈らん”。ここにおいて兪都、大いに驚き、すなわち“教えたまえ”と希(ねが)いければ、彼の者のいわく、“汝、今よりして妄想・悪念を止め、一遍に善を行え。
久しく勉めば、効験有らん”と言い畢(おわっ)て、竈に入りて倐(たちまち)見えず。ここにおいて、元旦より前非を改め、善事を行う。
 これより三年後、歳五十に及ぶ時、張江陵、我が子の師を繹(たず)ぬるに逮(およ)んで、朋友、兪都を薦(すす)めて、京師に至らしむ。張江陵、兪都の学徳を尚(たっと)ぶ。ある時、内官・楊公に謁見す。楊公、五子を出して兪公に見せしむ。兪公、このうち一人を養子にせんと希(ねが)う。しかるにこのうちの一人、年十六なる者あり。これを眺(み)るに、我が昔失いし子なり。大いに駭(おどろ)き、すなわちつれて還(かえ)る。母、この子を撫でて大いに慟じけるが、双目忽(たちま)ち明きぬ。兪公、悲喜交々集て、仕えを願わず、郷に帰って益々力(つと)む。
 その子、婦を娶って七子を生んで栄う。兪公、手づから竈の事を記して、戒(いまし)めを子孫に垂る。寿、八十八」。
 また注に云く、「竈は司命神として、人の一家の命を司る」と。
 後漢の宣帝の時、陰子方というもの至孝にして、仁徳有り。臘日(冬至より第三の戌の日にして、百神を祭る)晨(つと)に炊(かしき)ければ、竈神形(あら)われ見ゆ。子方、再拝して慶び黄牛をもってれを祀る。これより暴(にわか)に巨(おおい)に富み、田七百余頃(けい=田の面積、4.5ha)あり。輿馬、僕頴、邦君に比す。
子方、常に言く、「我が子孫、必ず大いならん」と。三世の後、陰識というに至って、大に栄う。後、常に臘日をもって竈を祀る(『蒙求』補註第六)。