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BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

その1 語録のススメ

 ちょっと打ち明け話のようなことになるが・・と書き出そうとして、あ、blogってもともとそんなもんかと思い直した。

 で、打ち明け話である。

 それまで日記など書くこともなかった。読者を想定しての文章というのは、ほぼ学術雑誌へ掲載するための研究論文であったから、資料名や人名がごちゃごちゃならぶ固いものがほとんど。しかも読ませることに於いてへたくそだったので、言い回しがスマートじゃなくて自分で読み返してもいやになってしまうようなものばかりだった。いまでも決して上手になったとは口が裂けても言えないけど(ほんとは口が裂けたら言えないのだが)、読んでもらうことを念頭に置いて書くクセはすこしづつついてきたように感じている。今思えばその転機は2段階にあった。

 その一つめは2006年の4月から始まった曹洞宗の機関誌『曹洞宗報』の附録雑誌『てらスクール』への連載だった。月イチ発行する寺院の子弟向け読み物というスタンスのこの雑誌、子どものために書く文章なんてはじめてのこと。タイトルは「おてらの神さま」、自分の関心事でもあった寺院の鎮守神がテーマなので題材には困らなかったが、子どもの読み物という大前提には戸惑った。だがこの仕事、ありがたかったのは毎回、掲載の前にそれぞれの原稿を、雑誌執筆者が集まり編集者とともに読み合わせするという「編集委員会」があったこと。メンバーには自分のようなちょこっと勉強している坊さんの他、研究職の先輩、ベテランの児童文学作家がいた。伝える情報としての確かさは大丈夫だったが、もっとも弱いのが「子どもに読ませる文章」という点。ここにおいてプロの作家からそのつどいろんなアドバイスをいただいたことがとてもためになった。「こんなんじゃ伝わりません」と何度だめ出しされたことか。

 しかし、だめ出しされてアドバイス受ければそれで文章上手になるというものではない。固さは次第にぬけつつあったがどうにもくどかったり丁寧に過ぎたり。その頃の連載が昨年1冊にまとまって単行化されたが、へたくそはそのまんまだ。

 で、二つめのきっかけは2008年から月例で一年間お世話になったコラムだった。友達のツテをたどって話のあった鈴木出版の子ども向け絵本雑誌『こどものくに』の折り込みパンフ『こどものくに通信』に、読者(コラムまで読むのは保護者や幼保の先生たち)へむけて「なんでもいいから」と12回の連載をすることになった。『てらスクール』の場合、編集者は宗務庁職員だから言ってみれば素人なんだけど、こちらはそれなりの出版社の編集のプロ。きれいな女性だったけど(連載途中でフランスへお嫁に行ったけどね)毎回のコメントは的確で、ヨイショもだめ出しもじつにありがたかった。すこしは読んでもらえるやわらかい文章を書き出したのは実質的にはこれが初めてだと思う。

 その頃、「てらスクール」では1クールめの「おてらの神さま」が終わって、2クールめの「ほとけさまのこころとかたち」になっていたけど、イマイチくどい文章はまだ治っていなかった。で「こどものくに通信」が契機になって、説明調のものじゃなくもっと人に語りかけるようなやわらかいものを書きたいと思うようになっていた。ちょうど「てらスクール」から3クールめもなにかと打診され、これもチャンスと思いそれまでの文体を改めて始めたのが「わたしもうたってみようかな」だった。だんだん慣れてきてそのうちに登場人物が勝手にしゃべる、とまでは行かないけど、そんなに苦労せずにセリフが出てくるようになった。

 結局へたくそはなおらずに今に至っているけど、そんなわけで書くことが楽しいなと思ったのは「こどものくに通信」のおかげ。自分としては愛着のある文章なので、こんな場所にとどめておこうと思う。このblogべつに誰かにPRしてはいないので、特段の読者もいないけど、もしどなたかの目にとまったら感想などいただければうれしい。

 てことでこれから12回、多分にナルシス的な動機のアップである。

 

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『こどものくに通信』2008年4月号

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 はじめまして。ぼくは、東北の小さな禅宗のお寺に住んでいます。これからの一年、このコラムを担当させてもらうことになりました。どうぞよろしく。

 禅宗には、禅語録というものがあります。一般的なお坊さんの伝記は、いつ生まれた、どこで修行した、と、そんな業績が中心だけど、禅語録のメインはその人の言葉。その人のしゃべってきた言葉で、「その人」を再現しようというちょっと独特の記録。

 で、じつはこれをオススメしたい。そろそろ言葉を話し始めたお子さんのいるみなさんへ。どういうことかというと、たとえばこんなことありますよね。

 とあるお孫さんとおばあさん。ごはんのあと、おばあさんは入れ歯をかぽっとはずして水で洗い、もごもごと口に入れなおす。そのようすをじいっとそばで見ていたお孫さん、まじめな顔して

「おばあちゃんは、目もはずれるの?」

 ぽかんとしたおばあさん、はたと気がついて大笑い。その日の夕食、ご一家はこの話題で大いに盛り上がったそうな。

 この手の話、園の先生たちやお母さんたちに振ってみると、「そうそう、あの子なんかこないだね」とえんえんとオモシロ自慢が始まりそう。まさに奇想天外なセリフの数々。だからこそのご提案。いかがでしょうか、子どもの語録。食卓をどっとわかせてくれる名子役たちの名言・迷言・珍言集。育児日誌とはちょっとちがう子どもの成長記録です。

 子どもが小さいうちは、毎日のように見聞きすることだけど、時が経てばいつか忘れちゃう。それに子どもも大きくなると、そうそうおもしろいことは言わなくなる。一生モノになるように、上等の「3年日記」や「5年日記」なんてフンパツしてはいかがでしょう。これかなりメリットありますよ。

 第一に、「今日なにかおもしろいこと言わなかった?」、と一家団欒のサカナにできる。第二に、子どもが反抗期になった時、「んなこと言ったってキミは昔こんなこと言ってたんだよ」と、おちょくって場を和ませることができる。第三に、子どもが結婚するときにハイと渡して、「ね、こうやってキミが幼い時から、お父さんとお母さんはキミのこと見守ってきたんだよ」と親の恩情をアピールできる。第四に、孫が生まれて、自分の子どもたちがいっぱしの親ぶっているの見て茶々入れたくなったら、「キミなんか子どもの時はこんなこと言ってたんだけどなぁ」とできる。ほら、こんなに使えるじゃないですか(笑)

 語録って、もともとビデオや写真のように「その人」を活写するための一手段。記録する人の腕前がものを言う。コトバの世界を歩み始めた子どもたちの足跡、しっかり残しておいてあげませんか。