BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

よこみち【真読】№12 「いかがわしき人気者」

 「夜叉」といえば背中に墨背負った高倉健

 そして色っぽさの両極にいる田中裕子といしだあゆみである。田中裕子のふてくされた顔から一転くしゃっと甘えてくるところ。いしだあゆみのうるうると揺れる大きなまなこ。どちらも大好物。

 この連想に共感してくれる人は話が合いそうなので今度一緒に呑みましょう。

 というデジャヴな始まりにしてみた(笑) ※北野武はおよびじゃないよ。

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 本編に登場する、〈荼吉尼〈狐〈夜叉〈飯縄〈犬首神〉。

 この面々、そのいかがわしさに於いて通じ合うところある。もし〈凶〈呪〈恐〈淫〈飢渇〈貪欲〉等をそれぞれ絵の具の色に喩えると、これらの色を使って描き出すことのできるのがこの面々、という言い方ができるだろう。この手のジャンル、好きな人いるよね。

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ダキニ1

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ダキニ2

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ダキニ3

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ダキニ4

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ダキニ5

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狐1

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狐2

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夜叉1

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夜叉2

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夜叉3

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飯縄1

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飯縄2

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犬神 あ、まちがい。

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 お、これもまちがい。

 まそんなわけでこんなのの中から、お好みの方向にさらに追い求めてゆくと、エログロの気味がもっと強くなるだろう。でも、そんなどん引きしそうなところは自分の趣味じゃない。このネット検索全盛の今日、好きな人はこんなblogなんか相手にしないで、どんどん自分の嗜好を求めていって下さいませ。 

 なかなか本題に入らない「よこみち」で恐縮だけど、そろそろ入りましょう(よこみちに本題があるのかっ!という突っ込みはなしで)。

 で今回の本編「荼枳尼」なのだが、さっきざあっと画像を並べたように、ずいぶんいろんな形態がある。でもちょっと待て、これ何か混乱していないか、と考えた。

 本文の通りならば、荼枳尼とは狐だ。マンダラの中では夜叉だ。この夜叉ってのは画像の中にある人を食っている(比喩的な意味ではなくてね)三人の女をさす。

 ここで夜叉+女で検索したりするとたちまち色っぽい女の子ばかり出てきて話が進まなくなるのでやめておこおう(これできっと何人かはググるよね:笑)。これはいわゆる胎蔵界曼荼羅を構成する一部なんだね。

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 だからざっくり言うと、本編『真俗仏事編』は「狐はこの女たちだ」と言っていることになる。いいのかそれ? でもってそれは飯縄の神と同類だという。ほら混乱しているでしょ。

 そんなわけで「よこみち」の本題は、この混乱を整理しておくことを目標としよう。ん~、あまり「よこ」みちっぽくないな。 

 まずは本編で「くわしくはこれを見よ」と言っている『谷響集』なる書をひもといてみよう。これ正式には『寂照堂谷響集』と言って、真言宗の泊如運敞(はくにょうんしょう)というお坊さんが編集したもので、全部で十巻にもなる大部のもの。元禄2年(1689)に刊行された。さらに元禄5年に『続集』として10巻が刊行された。『真俗仏事編』でも何度も引用されているから、同じ真言宗の子登にとってまずは参照すべき先行業績と言ったところだったと思う。

 でその「荼枳尼」の項目が次の通りだ。

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 ご覧のように客との問答体。

 客「ちまたに飯縄権現というものがあるが、“飯縄”とは地名で、“荼吉尼”を祭って“飯縄権現”と呼んでいる。じつに霊験あらたかと聞くが、はてこの“荼吉尼”とは“天”の仲間か。それとも“魔”の仲間か。そもそも経典にちゃんと書いてあるのかい?

 答「それは“夜叉”の仲間なんだよ」

 以上がやりとりの大枠である。このあと答えの中では二つの経疏を引いて、荼吉尼の印と真言について解説し、ついで荼吉尼には二種あることを述べる。二種とは、実類と曼荼羅の二つだという。

 この前半までのところで考えてみる。大きな話題の核となっているのは、荼吉尼とは天類・魔類のいずれに属するのかということだ。答えは夜叉の類。※夜叉は魔類の下位グループだから、この答えは魔類の中の夜叉の仲間という意味だ。

 と先ずはこうした分類が話題になっていたということを抑えておかないと話が見えない。『真俗』の方はこの前提がないのでちょっとわかりにくい。

 で次。『谷響集』はまずいいとして、『真俗』の説明で、〈荼吉尼〈狐〈夜叉〈飯縄〈犬首神〉が一緒くたになっていることも整理しておこう。

 あらためて画像覧てもらうと、ダキニ4とダキニ5がなんとなく近いぞと察せられる。もとヒンドゥーの神・ダーキニーに由来するもので、インド仏教では羅刹女の一類に属し、人肉を喰らうとされた。ダキニ4や本編の方にアップした女性三人の画像がこれですね。日本では真言宗胎蔵界曼荼羅に組み込まれているやつ。ダキニ5はチベット密教で発展した形らしく、これが女性原理の象徴ともされて、ご存じの男女の性的結合をリアルにあらわしたヤブユム(父母仏)の女性側になぞらえられたりもする。

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 これらから生まれるいくつかの属性、たとえば、性愛・残忍・女性性などが、怖くてエロい、非日常的な力を持った女性神というイメージの核になるんでしょうね。日本の「夜叉」の名を冠したヒロインたちに共通するモチーフでもある。

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古典的ですが滝夜叉姫

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鬼姫と夜叉というお名前だそうで

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 こちら中華系「夜叉」ですが、好みの画像でしたので(笑)

 ということで〈ダキニ〉と〈夜叉〉は抑えておいて、次はダキニ1~3の女神と狐が一体何だ、ということになる。ダキニ3は愛知の著名な曹洞宗寺院の例でもあるわけで、それなりに人口に膾炙した神像であるが、これを説明するために本編でも、そして『谷響集』でも中心的な話題となっている〈飯縄〉について触れなければならない。

 飯縄信仰というものがある。ごく直接的には、そして狭義的には、長野県の飯縄山を神秘的崇拝対象とするものと考えてよいと思うが、歴史的にはかなりの拡がりを持つものだ。

 本編の文中に「犬首使い」という語が見えるが、これそのものは後で触れるけど、これと同類に「飯縄使い」というものがある。イヅナとは実際にはイタチの種だというが、ひょろ長い体をした動物のことだ。

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 本編に添えた画像がそれだった。このひょろ長さがややデフォルメされ、細い管の中に納まるとか、見ようによってはヘビのようにも見えるとか伝説化されてくる。その点、飯縄1や飯縄2のキャラクターはその伝統を守っていると言える。

 で、このイヅナは神獣の一種とされ、超常的な魔力を持っていると考えられた。そしてこの力を自在に使ってたとえば、意中の相手を呪い殺したり、恋の虜にしたり、得体の知れない病に苛まれるようにしたりというワザを駆使するのが「飯縄使い」なのだ。

 このイヅナのバリェーションに「管ギツネ」などもいる。

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 これらは使役神(使役獣)ともいわれ、単独で何かをなすというよりも、自分を操る力を持つものの命によって、超常的な力を発現する。

 この飯縄使い・飯縄信仰の本尊とされているのが「飯縄権現」というわけだ。で、そのオーソドックスな姿は次のようなんだけど、

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 ご覧のように狐に乗った天狗の姿をしている。これを見て、あ、秋葉三尺坊と同じだなどと他の天狗像との類似を見出す人もあるかもしれない。で、それはそうなんだけど、ここでのお題は「ダキニ」なわけで、そっちとの類似に注意していきたい。ダキニ1~3の狐に乗った女神像との類似だ。

 ここまで〈ダキニ:女性:夜叉〉というグループと、〈ダキニ:狐に乗った神〉というグループの二つを確認できた。ここからさらに詰めてゆく確かな材料はまだ揃えていないので、この後は頼りない憶測だけと言うことになるのだが、こんなふうに考えてみたらどうだろう。

 飯縄権現の姿が形象化される時期と、女神としてのダキニ像が日本へ伝来する時期と、その前後関係はまだ調べていない。だからこれは仮定の話である。恐ろしい力を発現する〈狐に乗った神〉、日本人は外来神:ダキニを受け入れる時、その神のキャラクターからなのかどうかよくわらんけど、この〈狐に乗った神〉を受け皿にしたのじゃないだろうか。いま近世資料であるところの『谷響集』や『真俗仏事編』しか扱っていないので、神像受容や神像成立に関わる初源的なことまで憶測たくましくするのはまずいかもしれないけど、この両書を読んだ時、いずれもするりとダキニと飯縄を結びつけていることが気になったんだ。

 いまでこそ私達はダキニというと、ヒンドゥー教やチベット仏教エキゾチックな仏神像を連想するけど、近世やそれ以前にあってはそうじゃないと思うんだな。与えられている情報は、胎蔵界曼荼羅の図像と、ダキニについて説く仏教文献の記述くらいだったろうと思う。ここでダキニの元資料の中に、なにかしらの使役神(獣)を従えている文章があれば、話はやや説得性と帯びるんだけど、今のところはどうしようもない。

 いずれにしても『谷響集』と『真俗仏事編』は、ダキニといえば飯縄という連想タッグを提示している。そこに容易に結びつけることにためらいを感じつつも、まずはそう考えちゃうようななにかがあったんだろうな、と受けとめるしかない。なんだか歯切れ悪いけどしょうがないな。

 あ、ひとつ残った〈犬首使い〉。学生時代、憑霊信仰を専攻のひとつとする研究者の指導を仰いでいたことから、〈犬首使い〉についてもレクチャーを受けていた。けっこう怖いよこの話。

 まず犬を首から上だけ出して生き埋めにする。その鼻先に食べ物を置く。食べたいから必死で近づこうとするけど、しっかり埋め固められているので届かない。そのまま放置。餓える、食べたい、喰えない、恐ろしい形相になったままやがて犬は死ぬ。その犬の首を切り取り、ミイラ化して祀り、呪術に使うというものだ。言ってみれば使役神(獣)の作り方みたいな話である。飯縄との共通性はこの使役という点にあったのだな。

 さて今一度本編を読み直してみると、この説明文はやはり上手に整理されていないと思う。なんで最初に「これは狐をいう」と言っちゃうのかな。むしろ、

ダキニってのは夜叉とも言うんだ。曼荼羅の中にその姿がある。また狐に乗った女神の像をダキニと呼んでいるものものある。この像は、日本の飯縄権現とよく似ている。ところで飯縄といえば、飯縄使いというのあるけど、これは犬首使いとも似ていて、よく祟ることで知られている。ダキニや飯縄については『谷響集』にも詳しいから読んでみたらいい」

と言ってくれた方がわかりやすくないかい。(じつは本編中にある「本邦下方頭を使い」の一文がよくわかんない。どなたか教えて下さい)