BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

その2 ののさま

『こどものくに通信』2008年5月号

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 もし『ことばのレッドデータブック』みたいなものがあるとしたら、ぜひ載せてほしいのがお坊さんを呼ぶ時の「ののさま」ということば。それならまだ使ってるよ、というところも少なくないようだけど、ぼくの住むところでは、たまにお年寄りが使うくらいで、もうほとんど絶滅危惧種になっている。

 辞書には、幼児語とあって、月や太陽を指してもこう言うのだそうな。

 ののさまを取ってくれろと泣く子かな

 こんな江戸時代の川柳もあるそうで、いかにも「いいことば」って感じですよね。

もう二十年も前のこと。山あいの集落からお寺詣りに来てくれた、おばあさんのことを思い出す。

 早くにご主人に先立たれ、子どもたちもそれぞれ独立して、その頃はひとり暮らしだった。このおばあさん、目が見えない。なんでも昔、夫婦で炭焼きをやっていた頃、無理をしたのが原因だとか。明るさ暗さがほのかにわかる程度で、ほとんど何も見えないと言う。ひとり暮らしじゃさぞ不便だろうと思ったが、「そんなでもないよ」と平気のようす。

 「あのね、家の中のものは、どこに置いているかみんなわかるから、なんともないの。こうしてても、包丁使ってご飯したくもするし、掃除も洗濯もするんだよ」と。へえ、すごいなと思って聞いているともっとびっくりすることがあった。なんと暖房は薪ストーブだと言う。「薪を入れたりする時、あぶないでしょ?」と聞くと、「大丈夫だよ。あのね、ストーブのまわりに新聞紙敷いて置くんだよ。危ないと思うでしょ。でもねほんとはちがうの。火の粉が散ったときには、新聞の焦げる臭いですぐわかるからかえってこれでいいの。目、見えなくたってなんでもできるもんだよ」と教えてくれる。

 「でもね、この頃は子どもたちもなかなか家に来ないんだよ。ま、忙しくしてるべな。でもほんと近所の人や民生委員の人たちに、よくしてもらってありがたいよ。毎日みんなに感謝して暮らしてるよ。寝床にいて目をつぶってても、朝になればね、ぱぁ~っと明るくなるのわかるの。そうすればね、あ、今日もちゃんと朝になった。また一日始まる。よかったなぁ。ののさまありがとう、って掌合わせてから布団出るんだよ」と言うおばあさん。ひとり住む家の窓に朝陽が差し込み、一日のいのちの始まりを、太陽に感謝するおばあさんのようすを想像して、思わず胸がしめつけられるようだった。

 「一日一日を大切に生きるんだよ」なんてことをお坊さんはよく言う。ぼくもお説教なんかの時にはついそう言っている。まちがいではないんだけど、その意味合いをきちんと実感できるほどに、ぼくたちは一日を大切に生きているだろうか。

 このおばあさんの話し、ぼくには重たく響いた。そして毎朝心からの感謝をささげる「ののさま」と同じことばで、ぼくのことを呼んでくれているということに、とてももったいなく、そしてありがたく思ったのだった。