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BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

その3 お酒の功徳

『こどものくに通信』2008年6月号

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 (新潟駅ビル直結・ぽん酒館)

 ある日、知人を介してスリランカのお坊さんがぼくのお寺にやってきた。お国では数十人の僧が修行する僧院のマスターだとか。日本で言えば、修行僧堂の堂長老師である。観光で日本へやってきたのだけど三~四日泊めてくれとのこと。はいはいどうぞ、と言ったものの、さて食事をどうしよう。スリランカと言えば上座部仏教のメッカ。日本とはくらべものにならないくらい戒律に厳しく、アルコールはもちろん肉魚も口にしないはず。しかも大僧堂のお師家さま。おそるおそる聞いてみた。「あのう、なにかお好きなものは?」と。たどたどしい日本語で帰ってきたその僧院長のおこたえ、「あったかい日本酒と、イカの塩辛ダイスキデスネ」。へ、なにそれ! いいんですか、そんなの。とつっこみたいぼくに、堂長老師はこう答えた。「日本で初めて口にしました。トテモ美味しい。スリランカではぜったいダメだけど、日本は外国だからいいんですよ」と。そんなのアリ・・・なんですね。

 仏教徒の守るべき基本的な戒のひとつに「不飲酒戒」がある。いったいどうして酒は禁じられているのか。かの『大智度論』には、飲酒による過ちを、ずらっと三十五種も挙げている。いわく、「現世において財産を失ってしまう。多くの病にかかりやすくなり、またケンカのもとになる。裸になっても恥じることを知らず、悪い評判が立って人から尊敬されなくなる。伏せて隠しておくべきことをすべて人に話してしまう。悪い仲間と一緒にいるようになり、賢い善人を疎遠にするようになる。欲情のおもむくまま放逸にして、善い行いに向かうことをやめてしまう(書くに耐えないので以下略)」。なるほど、左党の方々なら少なからず思い当たる節がある。

 僧侶として酒に手を伸ばす。これっていつの時代でも気になる問題だったらしい。江戸時代の仏教書に、「在家の法事の席で酒を勧められることについて」と題してこんなことが書いてある。「たしかに仏制によって戒められている酒ではあるが、人に何かほどこしをしようとする施主の行為を拒否することは、布施の功徳を無にするものだ。酒に功徳あることもちゃんと仏典には出ている」と。

また、ある仏教学の大先生、お酒は決してきらいじゃないそうで、でもご自身はお坊さんでもある。で、いただくときはいつも「申し訳ないけど、ありがたい」と念じているとおっしゃっていた。

 世界各地の仏教圏から見れば、日本のお坊さんほどお酒と婚姻に関してゆるいところはないそうな。世間は、「お酒は人間関係の潤滑油。ま、和尚さんもいっぱいどうぞ」と勧めてくれそうではありますが。やっぱり忸怩たる思いはないわけではない。

 たしかに『大智度論』の言うところはごもっとも。そこでうちのお寺では考えた。「不飲酒」という戒律をなくすることはできない。でも「酒を飲まず」とは訓まないで、「酒に飲まれない」と訓むことにしよう、と。どうかお釈迦さま、このあたりで許していただけないでしょうか。