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BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

その4 へん平足とお釈迦さま

『こどものくに通信』2008年7月号

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 ぼくが小学6年の時、初めて学校にプールができた。それまでは水泳の授業といえば、近くの川に行くのがおきまり。それが真新しいプールである。魚もいないし、水の流れもないけど、なんたって新しいプールなのである。ぼくらはピカピカの新築プールにうきうきだった。

 プールサイドはモルタルの打ちっぱなし。乾いていれば白っぽい。水の落ちたところは黒く濡れてゆく。ひとしきり泳いだあと、ぼくたちがプールから上がってくると、プールサイドにぺたぺたと黒い足あとができてゆく。

 「あれ? お前の足あとヘンだぞ」と友だちの声。

 「ん?」。見るとみんなの足あとは、土踏まずのところがちゃんとえぐれているのに、ぼくの足あとだけはそうなっていない。なんと言うか、「土踏まず」ではなく「土踏み」状態で、足の裏の輪郭がぺったりきれいについていた。時として子供時代に人と違うということは、不幸なものである。「お前の足、おっかし~」と、あっというまに揶揄の的となった。

 家に帰って親に聞く。「どうしてぼくの足だけ土踏まずないの?」。時として親というものは、子供の不遇に無理解なものである。ぼくの質問に、両親とも「はっはっは」と笑ったのである。そして告げられた驚くべき事実。「それはね、へん平足って言うんだよ」。

 「へん平足」という言葉をはじめて知ったのはそのときである。たしかに両方の足の裏を合わせると、両の手で合掌した時のように、すきまなくぴたりと合うぼくの足。これって誰にでもできることではなかったのだ。

 ショックを受けている息子のようすにやっと気づいたらしく父が言った。「へん平足っていいことなんだぞ。お釈迦さまだってへん平足だったんだ」。<え、ここでお釈迦さまですか? >と心の中で思ったぼく。「お釈迦さまはな、とってもすばらしい人だから、自分が二本足で立っているときも、地面にできるだけまんべんなく触れることができるように、と土踏まずがなかったんだ。ま、誰に対しても惜しみなく公平に徳を分けてあげようという気持ちが、形になってできたのがへん平足というわけだ。だからとてもすばらしいことなんだぞ」と父は言った。<このペタペタの足の裏がですか? >と息子は思いがけぬ言葉にとまどったのである。

 ずっと後になって、お釈迦さまには常人と異なる三十二種類の身体的特徴があって、その第一が「足下安平立相」という、いわばへん平足なのだということを知った。「立つと大地に足が密着する。宿業の大地にしっかり足をつけているということである」などとモノの本は解説している。時として人は割り切れないままに事実を受け容れなければならない。いまぼくはお釈迦さまとおなじへん平足だということを、それなりに納得して受け止めている。

 じつは父も祖父も偏平足だということを後になって知った。でも、ぼくの息子はへん平足じゃない。ちょっと悔しい気がした。決して口にはしないけど。