BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

よこみち【真読】 №14 「やるなあ、角大師!」

 本編のややオカタイ説明文からなにかしらのモチーフを抜き出してくにゃりとやわらかく展開することを信条としているこの「よこみち」。それゆえ本編が生真面目であればあるほど「遊び」の振れ幅が大きくなるのでやりがいを感じてしまうのだが、今回の「角大師」はいつもと勝手が違う。
 なぜかというと、あの「角大師画」である。
 比叡山中興の祖にして、世に元三大師と称される慈慧大師こと良源。その人自らが鏡に映った自分の姿を描いたという本編添付のあの画。このインパクトはすごいですね。

 二本角の代表的なヒールと言えばサタン。たしかにシルエットは角大師に似ていなくもない。

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 こちらは劇画調、

 こちらはサービス。

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 こんなふうに、へたに二本角のサタンの画像なんか持ってきてもぜんぜん勝てない。これを10世紀には流行させていたというのだから、いやおみごと。

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 そんなわけで、このたびはあらがうことをやめてすなおに本編の文意を汲むことにつとめよう。

 本編がネタ元にしている『元亨釈書』。じつは私がこの手のテキストに触れた一等最初のものがこれだった。いやなつかし~、かれこれ36年前のことだ。鎌倉時代にできた日本最初の仏教僧伝集。

 いまのご時世、これも原文がweb公開されているんだから隔世の感ありだなあ。

国立国会図書館デジタルコレクション - 元亨釈書 30巻. [3]

 で、この元亨釈書』の註疏類も数多いのだが、おそらくもっとも詳細な註を施しているものに江戸時代・享和年間にできた『元亨釈書便蒙』なる書がある。じつはこれの全巻複写本を持っている(ちょっと自慢)。というのは、現在はどちらの図書館でも近代以前の和綴本は、刊本であってもコピー禁止としているところがほとんどのはずだけど、昔はけっこう野放図だった。だから一〇数巻になる全冊をせっせとコピーしたのがうちの書棚にどんとある。『元亨釈書』という本は、僧伝集であるとともに、仏教に縁のある神様や俗人の記録もあり、また記述の仕方も幾通りかあり、さらにその編集が鎌倉時代ということから、近世に整理編纂されてくる以前の古伝承が集積していて、なかなかおもしろい。で、このテキストをひもとく度に『便蒙』もめくっているという、うちの書棚では長居している割に活躍している本だと思う。

 その『便蒙』から本編に該当する「良源」の記述を見てみよう。

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 大きな文字が『元亨釈書』の本文、割注部分が『便蒙』の解説というわけ。

 問題の画像の箇所は『真俗』本編が引いている文章とちょっと違うけど、これは版本の違いかもしれない。註の部分を読んでみる。

「世に伝うるところの模印に二あり。

 その一は、鬼形なり。あるいはいわく“これ魅鬼降伏を修するの時、この形を現す”。

 その一は、至小の僧容、三十三身を一紙中に印す。俗に“魔滅大師”と称す。あるいはいわく“慈慧はこれ大悲の応化、ゆえにその化身の数に象(かたどる)なり”」

 『真俗』の言う「角大師」はこの一つめの方になるかな。「魅鬼降伏を修する」とは、№13「疫神を追う」で覧た「疫神邪気を祓う為なり」というところに通じる。ふむ、『真俗』が「角大師」をこの配置にしたのはそう言うわけだったか。

 そして二つめは、ごく小さな僧の姿を一枚の紙に33身印刷したものというわけだけど、これを「魔滅大師」というとある。はっはあ、そうかこれは『真俗』の「角大師」に続く「豆大師」の項目に通じることだ。なるほど一足先に話がわかってきたぞ。で、それは大悲=観音菩薩の応現する変化身33種を示していると言うことか。

 それにしてもこの慈慧大師・良源というお坊さん、元亨釈書』の伝記部分ではかなり教学に明るく、また弁舌にすぐれていたようで、ついには天台座主の位にまで昇っている。天台宗のことはよくわからないので、まだまだすごいところあるんだろうけど、やはりなにより驚くのは、自画像としてこの角大師を残したことだなあ。これで一気に人間ならぬものの領域に踏み込んだと言えるだろうな。