BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

その6 イマジン

『こどものくに通信』2008年9月号

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「彼岸」というのは向こうの世界、そこはおだやかで澄みきった心を持つ仏さまたちの住む世界。だから、裏切りや争いなんてそこにはない。これに対してこちら側、私たちの住む世界を「此岸」という。ここではまだまだいさかいが絶えず、いつもどこかで戦争が続いている。理想的なさとりの「彼岸」と、現実的なまよいの「此岸」。川の両岸にたとえられるこの二つ。こっち岸から、向こう岸へ渡るのはなかなか容易なことじゃなさそうに思える。ジョン・レノンの『イマジン』にこんな一節がある。「想像してごらん、天国なんてないんだと。その気になれば簡単なことさ、ぼくらの足元に地獄はなく、頭上にはただ空があるだけ。想像してごらん、すべての人々が今日のために生きていると」。 彼岸と此岸が、そのまま天国と地獄だなどと言うつもりじゃない。考えてほしいのは、ぼくらがずっと離れたところにあると思っている天国や地獄なんてほんとはどこにもなくって、あるのはいまのここだけなんだ、ということ。天国、ユートピア、理想郷、もしかするとそれらは幻想に過ぎないのかもしれない。いま生きているこの場所を離れたどこか遠いところに、幸せの場所があるんじゃなくて、この場所をこそ幸せの世界に変えていこう。『イマジン』にはそんなメッセージが込められている。彼岸という言葉も決して、ずっと遠くの世界、簡単にはたどりつけない世界のことを、意味しているのではないのかもしれない。 ある目標を掲げて一週間、そのために努力することがある。たとえば野鳥を守ろうという「愛鳥週間」、動物を人間の絆を大切にしようという「動物愛護週間」など。とすれば、お彼岸はさしずめ「お彼岸実現運動強調週間」とでも言えるだろう。 ふだんは、つい人の悪口を言ったり、ムカッとしたり、ズルしたり、と足りないところの多い此岸のぼくたち。でもこの一週間は、彼岸の仏さまにならって、怒らず、争わず、おだやかで優しい心で過ごそう、というのが「お彼岸実現運動強調週間」というわけなんだ。そして一週間そうして過ごすことができたら、こんどは一ヶ月、その次は半年、そこまでできたなら一年中、いや一生がずっと・・と。ぼくたちの生きているこの世界をこそ、彼岸にしてしまおう。「想像してごらん、所有するものなんかなにもないと。はたしてきみにできるかな。よくばりや飢えの必要もなく、人はみな兄弟なのさ。想像してごらん。すべての人々が世界を分かち合っていると」。『イマジン』はこう結んでいる。この世の中を、争いも、苦しみも、悩みもない彼岸に変えて行くこと。それはまぎれもなく、お釈迦さまが、自分自身の永遠の目標としたことだった。お彼岸はチャンスなんだ。そのお釈迦さまが掲げた、まだ果たされていない目標に向かって努力するための。想像だけじゃなくって、みんなでちょっとづつ実行していくための。