よこみち【真読】 №15 「ビナンとジョナン」
№15は№14と同じく天台宗の名僧・良源に関わるもの。いずれも良源の姿を描いたと伝えられる2枚の画像に関わるもの。
「豆大師」とは、先に№14の「よこみち」で触れたように、自分の身を細分化して示現したという話しにもとづくもの。『元亨釈書便蒙』の註で「魔滅(マメツ)大師」とあった「マメ」と「細分化」したその姿にかけているんでしょうね。
ほとんどの「豆大師」伝承に関わる記述が観音の変化身にちなんで「三十三身」なのに、『真俗』が「十八」と記している理由は今のところよくわからない。すいません。
ここでは豆大師と化した理由にこそ大注目したい。そう、あまりに良源が美しいがために「染汗」しようとした女人から逃れるためであったというそのこと!
古来、美男の僧に懸想する女人の話は数多い。
有名どころでは〈安珍と清姫〉がまずそうだ。能や長唄、人形浄瑠璃、歌舞伎といった伝統芸能はもとより、絵巻になり物語になり小説になり芝居になり映画になりDVDになりAVにもなっている。ここにはその一部のみ挙げておくけど、お好きな方はどうぞとことん追求して下さい。
おそらくは〈男僧と女人〉というのは一部の世の人々にとって、好奇の的なんだろうな。その理由はよくわからないけど、たとえば禁欲的で堅物イメージの僧侶が「壊れ」てしまうところが興味を引くのだろうか。
自分は決して美男でも堅物でもないけれど、「壊れやすさ」ではいくつか身に憶えがある・・。と、まあよこみちの本題に戻ろう。
美男の僧と女人、まだまだあるよ。
古いところでは『浄業障経』という経典に登場する勇施比丘。
托鉢に赴いたある街で、その美しさに惚れられ、懇ろになってしまった長者の娘と共謀し、娘の夫を毒殺してしまう話(大正蔵経24巻・p1098)。
法然の弟子にしてかの『選択本願念仏集』を筆記したという遵西にまつわる俗説。
美男ゆえに女性ファン多く、後鳥羽上皇の愛妾・鈴虫&松虫の美人姉妹と通じたとの嫌疑から、男性のシンボルを切り落とされ六条河原で斬首された話。
江戸谷中の延命院住持・日潤の話。
歌舞伎役者の隠し子とも噂のある美僧・日潤そして日道。江戸大奥の女中と通じたとのかどで検挙の後に処刑された話。
これに『今昔物語』なんかの説話系物語や近世の黄表紙類なんかも加えてゆくとまだまだ出てくるだろう。
加えて現代に至っても安珍・清姫のみならず美男僧ネタは、コミックであれ映画であれ世の興味は尽きない模様。なんでも巷では美男僧の図鑑も出回り、テレビでも活躍し、カフェも登場しているとか。もしかすると美坊主ホストクラブなんてのもそろそろ出るんじゃないか?
もっとも近世以前の〈男僧と女人〉に対する関心と、近代以後ではやや違うと思う。というのは、それまで浄土真宗以外の男性僧侶は妻帯が認められなかった。公的に婚姻が認められるのは明治5年以降のこと。その御法度をきまじめに守っていたわけではなさそうだが、すくなくとも僧侶の〈情交〉は近代以後、ぐんと一般の方々に身近になったと言えるだろう。ま、それでも依然として衰えぬ〈美男僧〉人気はたんにご法度の解禁では説明できそうにないけどね。
ちょっとまわりを見てみれば、仏教に限らずヨーロッパ系の宗教者だってこの手のゴシップはよくあるわけだし、今回は扱わないけどいわゆる〈男色〉ジャンルの話題だって、宗教者の関わるところにはめずらしくない。
大仰に云えば〈宗教と性〉の問題にまで風呂敷は広がるし、そんなかっこつけなくてもいいじゃん、てところで云えば〈やっぱり男と女だね〉ということだろう。
良源の「豆大師」由来譚に『真俗』のように女性のことを記しているものは意外に少ないのだけど、名僧・良源のウィークポイントが美男であること、っていうのになんだかほっとするお話。こういえば天台宗のみなさんに叱られるかな。
ともあれ世の僧職系男子諸兄、心して肝に銘じておいて下さいませ。
「美男の僧は、女難の相」。