BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

【真読】 №18「大黒天、寺の食厨(くり)を守る」 巻一〈祈祷部〉(『和漢真俗仏事編』読書会)

webテキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号18

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『南海寄帰伝』所説の像容に近いもの

 福天の多き中に大黒天、寺院の食厨を守りたまうことは、義浄三蔵の『南海寄帰伝』にいわく、
「天竺諸大寺には、みな食厨の柱の側、あるいは庫の戸口の前に、木像の長(た)け二三尺の神王あり。座像にして手に金囊(きんのう)を把り、小牀に踞(しりうたげ)て一脚を下ろせり。毎(つね)に油をもって拭(ぬぐ)うゆえに黒し。ゆえに号(なづ)けていわく“莫訶歌羅(まかから)”(莫訶歌羅、ここには大黒と飜ず)と。すなわち大黒天神なり。古(いにし)えより伝えて大天の部属という。三宝を愛し、五衆を護て損すること無からしむ。願いを告(もう)せば必ず称(かな)う。食時の毎に香火および飲食(おんじき)を備う。
 しかるに般弾那(はんだな)寺は仏の『大涅槃経』を説きたまう處にして大寺なり。常に百余人の僧ありしに、ある時五百の僧、遽(にわか)に来て斎を乞う。素(もと)より貯え無きに、正に日中におよび知事の人、いかんせんと苦しむ。しかるに浄人の老婆これを聴いていわく“苦しむなかれ、我れ術あり”とて、やがて香火・飲食を陳(つらね)て大黒神に告ていわく“四方の僧、大聖涅槃の霊迹を礼せんとして俄(にわか)に来たれり。幸(ねがわく)は飲食供養乏しからざるように護りたまえ”と云て寺の常食(じょうじき)を出して次第に行(ひ)きければ、大衆にことごとく足れり。長(あま)るところ平日のごとし。みな大黒神の威力を讃ず(取意)」。
 ○世儒の評にいわく、「大黒、説にいわく、大黒は天竺の神に非ずして大己貴の像なり。この像の頭(かしら)に被るもの、体に服する衣、踏める俵、みな吾が国の俗にして異域に非ず。素より大己貴は地主神にして、福神にこれを崇めりと云えり」。

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(「世儒の評」の像容)

愚、按ずるに石山の口訣等には大黒天の像、『寄帰伝』の説を取れり。然りといえども権化の真作の大黒天人の像、みな今の世流布の像に同じ。これまたよんどころあるべし。明師に就いて尋ぬべし。
 ○『大日経疏』等に出づる大黒天神は、今の食厨(くり)の守護神とは異なり、『新訳仁王経』「護国品」第五には「訶迦羅大黒天神」、『青龍疏』(前出仁王経の疏、青龍寺良賁撰述)には「闘戦神」なり。

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(マハーカーラ)
 ○『観自在三世最勝心明王儀軌』の注にいわく、「大黒天、象の皮を披(き)て、横に一の槍(ほこ)を把(と)り、一頭は人の頭(こうべ)を穿ち、一頭は羊を穿つ」。

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