BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

よこみち【真読】 №19「えびすのタブー」

 もう10年前のことだけど、お寺の子ども向けにある月刊誌に連載をしていたことがある。テーマはお寺の中に祀られるいろんな神さまの紹介だった。たまたま七福神の中から毘沙門天、布袋、弁天などを書いていたこともあり、、次はヱビスさんを取り上げたいと編集会議で打診した。編集担当は「あ、いいですね。よろしくお願いします」と好感触。「ほんとはいろいろあるんだけど、ま、上手に書くからね」と返事をした。この時、編集担当はよく私の言葉の意図がわかっていなかったらしい。次回編集会議もそろそろという日、その担当から電話がかかってきた。

「先生すいません、やっぱりヱビスさんやめて下さい」と。
「え、なんで?」
「いやだって、わたしもちょっと辞典とか調べてみたんですけど、かなりやばくないですか?」
「ああ、調べてみたんだね。でも大丈夫だよ。ちゃんと福の神としてお祀りしているんだし、へんなところはあまり突っ込まないからさ」
「でもやっぱり、子ども向けのものですし、○○○の名前で出すものですから」
「そうか、そんなに言うんなら別のにするよ」
 というわけでオクラに入りになった経緯がある。○○○とは、ある団体名なんだけどここでは伏せておきましょう。別にこのことがさほど不本意だったわけでもなく、これで腹を立てたりというわけでもなかった。ただ、ヱビスさんの負の力の大きさをかいま見たような気持ちはちょっとしたのを感じた。
 ヱビスの素性を語ることは一種のタブー、そんな空気がその時よぎったのだった。
 本編ではヱビスのことを言うに「蛭子」の字を充て、そのルビには「ヒルコ」と振っている。「エビス」=「ヒルコ」なわけだ。このことを世間に弘めた功績はこの人によるところとても大きい。

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 さて、ヒルコとはご存じの通り、イザナギイザナミの二人の間に生まれた最初の子だった。ところが不具であったために葦の舟に乗せて海に流されてしまう・・というのが『古事記』の伝えるところだった。

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 このかわいそうな子が流れ着いた先で神さまとして祀られたのが方々の「恵比寿神社」というものらしい。むろんこれとは別の伝承のものもあるだろうけど。
 このエビスさん、民俗事例ではやはりちょっと変わった神さまのようだ。
 たとえばこんな例がある。漂流死体をえびすとも称し、それを拾い上げ、密かに埋葬したり屋敷神としてまつると大漁があると伝える。
 http://ci.nii.ac.jp/naid/110001101063
 またある研究者は「このように、海神としてのえびす神は市神となり、さらに福神になってきたのである」とエビスの神格の変化を追ったりしている。
http://ci.nii.ac.jp/els/110000039211.pdf?id=ART0000370204&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1429872193&cp=
 じつはエビス信仰の研究も大黒さんの研究と同じくらいに盛んなんだけど、大黒さんがインド発祥であちこち経由しながら日本へやって来たのと違い、エビスさんはその誕生譚からもわかるように、純ニッポン的神さま。ちまたでは二人並んで福の神というポーズのものも見かけるけど、出自はずいぶん違うのだよね。

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 こうした神さまを見て思うのは、こんな出自の存在をかくもありがたきふくぶくしい福の神に祭り上げてしまう人々の力の方に惹かれてしまう。七福神の成立なんて、それぞれもともとはかなり色濃い(あるいはえぐい)キャラクターを、巧みにねじ伏せ自分たちに利益を与える「福の神」に仕立て上げてしまった人間たちのものすごいチカラワザだと思うのだ。