BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

【真読】 №20「伽藍に賓頭廬を置く」 巻一〈祈祷部〉(『和漢真俗仏事編』読書会)

webテキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号19

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 問う、「伽藍に賓頭廬の像を置くはいかん」。
 答う、「唐土の精舎、みなこの像を安ず。晋の道安法師より起これり(『釈氏要覧』にも出たり)。
 『高僧伝』に云わく“安(道安法師)、常に諸経を註す。すなわち誓っていわく、〈もし説くところ理に遠からずんば、瑞相を見せたまえ〉と誓願したまえば、夢に、頭べ白く眉長き梵僧来て、道安に告げていわく、〈君が註するところ、理に合(かな)えり。我も助けて弘通すべし。今より我に飯食(おんじき)を設くべし〉と云えり。後に『十誦律』天竺より至る。遠法師これを視て、賓頭廬の誓願を悟て、さては和尚の夢みしは、賓頭廬なりと知れり。ここにおいて座を立ちて飲食を備う。”
 始めは空座の前に椀盋を置いて供養して聖像なかりしに、宋の泰至年中の末に、正勝寺・僧法願、正喜寺・僧法鏡等、始めて賓頭廬の像を図す。
 ○問う、「俗説に、この像を摩(な)でて病願を念ずと云う。このことありや」。

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 答う、「賓頭廬は十六羅漢の第一の尊者なり。如来入滅の時、諸の羅漢に勅したまわく、“汝等、あるいは十六、あるいは九十九億の身を現して、あるいは海島、あるいは山間、あるいは十方に影を散じて、涅槃に入らずして、人天の供養に応じ、世の福田となるべし。人寿十歳の時、仏法滅せん。それより人寿増して百歳の時に至らば、十六羅漢、諸弟子と共に閻浮に下って説法教化し、乃至人寿七万歳に至って弘法し畢(おわ)るべし。その時、諸羅漢、経典及び舎利を聚めて塔を起て、共に集会(しゅうえ)してこの塔を囲繞(いにょう)して涅槃に入るべし”(『宝雲経』第七ならびに『釈門正統』にこれを引く)と云えり。
 しからばなんぞ衆生の病願のみに限らん。一切の求願を遂げさしむるの本誓なり。賓頭廬の誓願、殊に勝れたるをもって十六羅漢の第一とす。
 『請賓頭廬経』の中には、この尊を請するに、花を散らして試みれば、影向の迹をみること出たり。これまたこの尊、済度の願勝れたるところなり。往きて彼の経を披(ひら)け」。