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BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

よこみち【真読】 №20 「びんずるさんとビリケンさん」

 数ある仏像の中でも唯一賓頭廬さんだけが持つ特徴、それは「おさわり」ができるということ。ほかはほとんど「さわってはいけません」場合によっては「撮影してはいけません」そして時によっては「見てはいけません」ですね。

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 今回の「よこみち」、この「おさわり」に注目してみたい。

 じつは十六羅漢の第一尊者・ビンドラ・バラダージャ(賓度羅跋囉惰闍、Piṇḍola Bharadvāja)が「なでぼとけ」になった経緯はよく解っていない。

 なぜ数ある仏菩薩像の中から賓頭廬さんだけなのか? 

 なぜ賓頭廬の関係資料の中に身体病理に関するものが見えないのに「なでぼとけ」信仰があるのか?

 本編でも、もともとの賓頭廬さんの誓願にその答えを求めたりしているけれど、読んでわかるように直接的な答えにはなっていない。きっと「なでぼとけ」成立の背景には、まだ私達の気づいていない理由が隠れていると思う。

 で、ここでもそれ以上の答えを示せるわけでもないので、どうしようとしているかと言えば、「なでる」「さわる」というそのものを考えてみたいのだ。

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 「なでる」「なでられる」というのはしばしば快感をともなう。それは相手による場合もあり、テクニックによる場合もあり、自分のコンディションによる場合もある。えと、もしかしてR18系をご期待の方はすいません。こんなみえみえの状況ではそっちに行きませんのであしからず。(あまのじゃくってこんなもんです)

 で、しばらく〈快感〉の考察。(言ってるそばからこんなんですいません)

 〈快感〉と深い関わりにある(らしい)セロトニンドーパミンとエンドルフィン。私、よく人前で話をする時に意識するのがこのうちのドーパミンなんだけど、ここではあまり関係なさそうなので、これをのぞいたあとの二つで話を進める。

 ふんわり気持ちいい、りらっくす~なモードに誘うのがセロトニン(らしい。以下くどいので「らしい」省略)。「なでられる」「さわられる」側がこの物質を分泌させそうなことは共感いただけると思う。また「なでる」「さわる」側もその対象によっては「気持ちいぃ~」モードになることだってよくありますよね。たとえばにゃんこの肉球とか。そして男女の身体部位によっても意外な場所がセロトニンの分泌を促す場合もあるらしい(あ、使っちゃった)。

 で、この男女の身体部位のどこかしらをさらに効果的に「なでる」「さわる」「なでられる」「さわられる」ことによって、分泌されるのがエンドルフィン。この〈快感〉はやや高揚感をともなう場合があるようだけど、それには相手との相性や、行為のテクニックにもよるら・・、もとい、よると推察される。

 テクニックの話が出たちなみに、ちょっとぶれた話題になるけど、その独特なテクニックによって木製の賓頭廬像を、生きた人間のように動かしたり話したり出来るようにしてしまう小学生男児がいる。名前を「ゆうくん」と言うのだけど、ご存じ・・ないですよね、はい。

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 で、問題は「なでぼとけ」の「なで」とは以上のような「なで」文化の中でどのように位置づけられるのかということだ。

 ここに「なでる」とはかなり密接な関係にありそうな〈快感〉は、少なくともびんずるさんの場合にはやや意味合いが違ってくるように思う。びんずるさん、なでられて「気持ちいい」とか、びんずるさんをなでて「気持ちいい」という事例はかなり珍しいと思う。 どうも〈快感〉とは即座に重ね合わせにくい。

 ここで思い出すのは浅草・浅草寺の香煙。ご覧になった人はわかると思うけど、ここではあのモクモクとした線香の煙が「商売繁盛、家内安全、学業成就、厄除け、病気平癒にご利益ある」と信じられていて、その煙を手ですくって自分の体にふりかけたり、ひたと押し当てたりする。

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 この画像では頭や顔にぺたぺたしている女性も見受けられる。「よくなりますように」というお願いでしょうか。 

 これは浅草寺の持つ霊力(端的にはご本尊ということになるけど、それを含む霊域としての浅草寺境内全体の持つ力だろうね)が「香煙」に表象されて、その「ご利益」を享受するということなんだと思う。この例は浅草寺に限らず、ほかの寺院でも見られるし、中国の寺院でも少なからず見かけた。

 なぜ「なでる」の話題なのに浅草寺の香煙なのか。〈聖なるものの霊力をいただく〉という観念がそこにありそうに思うからだ。

 聖なるもの〉にふれることによって、なにかしらの霊的な恵みを期待すること。霊的な恵みは「ご利益」と言い換えてもいい。

 たとえばプラハにあるこの聖人の像にふれると幸せになると言われているそうな。

 「ふれる」の延長上に「握手する」もある。人気タレントや映画スターの握手会が長蛇の列となることもしばしばというのも「ご利益」に群がる人々の心情だろう。超人的な力を持つ写真のヒーローの場合も同様である。

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 びんずるさんをなでる、という行為の底の方にあるのは、こうした〈聖なるものの力〉への期待だったのじゃないだろうか。

 それが、自分の患部と同じところを触ると病気が治る、という具体的な信仰に発展した理由は、現時点ではなんともわからない。

 この点よく似ているのは、大坂通天閣にいらっしゃるビリケンさんだ。

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 足の裏をかいてあげると、数多の願いを叶えてくれるというこのけったいな神さま。構造的にはびんずるさんと非常によく似ている。アメリカ由来の神さまということだが、こう考えてくると、びんずるさんのなでぼとけの展開という経緯も、『真俗』が展開しているように仏教教義オンリーだけではない要素があるのかも、と思う。

 そして〈快感〉とは縁が薄いようについ予断してしまったが、いやまてよ、と考える。びんずるさんに触れようとするその人は、この接触によってびんずるさんの聖なる息吹を自分も享受できるという期待を持っているはずだ。それはびんずるさんに触れることのよろこびにほかならない。もしかすると God Bless you という「霊的恵み=ご利益」を予感するあたりが、びんずるさんを「なでる」場合の〈快感〉の予感なのかもしれない。