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BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

『驢鞍橋』 - ある長老たち への批判-

 たまたま今日仲間と読んでいた『驢鞍橋』、下巻の第67節におもしろい記事があった。

 作者・正三(1579-1655)は江戸前期の人。

 当時の禅宗界、特徴のひとつに抄物の盛行がある。『碧巌録』『虚堂録』など中国禅の語録に加え、禅宗のガイダンス『五家正宗賛』も抄物テキストの一つだった。

 ある研究会に加えさせてもらって、

 http://ci.nii.ac.jp/naid/40016650779

 これが第一回で毎年一度の成果発表。これまで七回目まで来た。

 http://ci.nii.ac.jp/naid/40020427122

 ずっと以前に抄物の勉強をしていたこともあるが、再びちゃんと向き合ったのはこの七年余ということになる。この経験から思うのだけど、抄物の学僧というのは、幅広く中国古典や仏教典籍・禅語録などに通じたインテリと言える。中でも名の通った五山僧などは該博な知識と強靭な読解力を持った知の哲人という趣さえある。

 ここに登場する「去る和尚」と「長老衆」たちは、レベルこそ窺い得ないが、そんな抄物インテリ僧のジャンルに属する者たちだと思う。

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 近在の「長老」7~8人を集めて『五家正宗賛』を講釈するとなれば、その地方では知られた学問僧侶であったと察せられる。その和尚が正三に依頼する。

「この長老たちに“後生物語をしてくだされ」と。

 後生物語とはもしかすると正三の著『因果物語』を指すのじゃないかと考えている。多作家の正三の著書の中でも、異色の書の一つ。上下二巻からなる。

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 目録に見るとおり、幽霊、取り殺す、火玉、鬼子などおどろおどろしい見出しが並ぶ、内容もそれに違わずオカルティックな話題のオンパレード。書名こそ違えど、これらは「後生」の物語とも言えるのじゃないだろうか。「後生物語」という書名が『因果物語』に代わって通用していたのか、あるいはその書の内容から「後生の物語」という意味だったのか、定かにはわからない。

 しかしそう考えると、「去る和尚」の正三に対する慫慂のニュアンスが知られてくる。自分たちは『五家正宗賛』研究のインテリ僧、かたや正三は幽霊話などをして庶民に人気の侍出身の僧。そんなレッテルが先ず貼られていたように想像する。

 「正三老師、ご高名はかねて伺っておりますよ。私どもは『正宗賛』などという些末な講本研究に携わっているものですが、この度は正三老師の世にもめずらしい後生の物語などどうぞお聞かせ下さい」。

 「いやどうして禅門の先達たるご長老の皆様に、下世話めいた後世譚などお話しできましょうか、いやとてもできるものではありません」

 「いやいや、いつものようにご婦人連にお話しなさるように語っていただければいいのですよ」

 このようにあけすけな優越意識が見える。だが、この多分に失礼な申し入れに正三の切り返しがやはりただものではない。

 「そうですか。それではただいまおっしゃった“ご婦人連(原文:ウバカカ)”なる言葉についてであれば申し上げましょう。

 ご長老様たちは、どなたもご自身のことを“婆さん母さん”のようにはお思いではいらっしゃらないでしょうな。けれども、みなさんが後から仕込んだ耳学問の成果を取りのけて、一体ご自身たちに何が残るかをしっかり引き算してみていただきたい。もの惜しい、もの欲しい、憎たらしい、可愛いなど、塵俗の情は、みなさんの言われる“婆さん母さん”とどこが変わりましょうか。ただの物知りになった“婆さん母さん”というものじゃありませんか」

 この言葉を聞いてくだんの和尚と長老たち、大いに自分らの非を知ったという。

 この話、正三を通してではあるけれど、当時の抄物研究グループに対する視線がわかって興味深い。正三自身、抄物のような注釈的研究をしなかったかというとそんなことはないと思う。『驢鞍橋』中巻の前半は、ほとんどが中国の禅録引用文へのコメントである。そのような教養は、それなりに踏まえていたものと思う。

 ただここでよく考えてみなければならないことが一つ。

 正三は曹洞宗の万安英種に参じたと言われている。一説には嗣法したとの話しもある。万安は抄物研究者としては曹洞宗を代表する僧である。正三と万安とはどんな間柄だったのだろう?