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BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

よこみち【真読】 №28「如是心意供養、最上更無過者」

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 今回の本編「華に貴賤あり」、いつもとちょっと様子が違うように感じる。その疑点は二つ。
 まずタイトルと本文の内容。タイトルは「華に貴賤あり」だから、内容もそうなのかと思うと、話のオチは「心意を供養最上にして、さらに過ぎるもの無し」とあって、つまりは花の善し悪しなど関係ないよ、ということを言っている。
 次に典拠のあいまいさ。これまでであればていねいに仏教典籍の名前を挙げて、時には神道書までも博捜して典拠を示すのに、今回は「秘経の中には」とあるだけで、はっきりその文献を示さない。
 もっともこの二つ目の疑点は、編著者・子登がいいかげんということではない。白華と雑華のことはいくつかの仏典に見えるし、また飾るべき花のない時は「運想供養」すべし云々以下のことは、その典拠と思われる文章が『蘇悉地羯羅経』という経典に見える。以下がそれだ。
 若無如上華葉根果獻者。曾聞獻供養華。或自曾獻華。隨所應令運想供養。最爲勝上。供養尊法。雖有如前華果等獻。若能至心虔恭合掌。頂奉供養本尊華果。如是心意供養。最上更無過者。常應作致。如是供養。勿懷疑惑。則得成就。(大正蔵18.640a)
 じつはこの経典、本編の次項目№29でこんどは名前を挙げて引いているので、たぶんここでも子登がこれに依ったと見て間違いない。
 ではなぜ子登はここでそれを示さなかったのか。
 考えられるのは、ここでの見解がとりたてて典拠を示すまでもなく一般に(この場合は真言宗教団にという方がふさわしいだろうか)膾炙されていることだから、という場合があるだろう。でもそうかな。「秘経」とか「深義」という表現から察すれば、ここで述べられていることは誰でも知っていること、というよりはもう一段深いレベルから意味合いを開陳する、という雰囲気がある。
 こういうことじゃないだろうか。
 供養花に貴賤があるというのは、ごく一般的に言われていることなのだけど、ほんとは「こころ(心意)」こそ大切なんだという主旨は、子登その人の思いなのではないだろうか。それを言うことばは『蘇悉地羯羅経』にちゃんとあるのだけど、なおそれを自分の言葉として伝えたい思いがあったのではないだろうか。
 本編の文末は「ト説キ玉ヘリ」で結ばれている。ここには出典『蘇悉地羯羅経』に対する敬意もちゃんと表れている。子登は決してこの経典を隠しネタにして自説のごとく唱えているわけではない。そうした「仁義」はきちんと踏まえながらも、「如是心意供養。最上更無過者」という主旨を、自分もそう信じている、と伝えたかったのだろう。
 こんなところに、子登の人間味を感じてしまう。