BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

【真読】 №32 「燈」 巻二〈供養部〉(『和漢真俗仏事編』読書会)

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webテキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号23

 『文殊問経』に三十五の供養物を説きたまうに、初めに「燃燈・焼香・飲食・衣服」と列ねたまえり。
 ○『燈指経』にいわく、
「長者に一子あり。指に光明あるをもって燈指と名づく。その家大いに富む。父、死して貧しくなれり。人に傭われて屍(しかばね)を負うて墓所に至る。屍落ちず。怪しみて家に帰り、見れば屍黄金となる。この人、過去に手をもって仏前の燈を挑(かか)ぐ。ゆえに指の光明を感じ、またこの福を獲る」。
 ○『賢愚経』にいわく、
「阿難、仏に白(もう)して言く。
 “世尊、過去世にいかなる善根を作してこの果報を得たまうや”。
 仏、阿難に告げてたまう、
 “過去二阿僧祇九十一劫に、この閻浮提(えんぶだい)に波塞奇(はそくき)と云える大王あり。ひとりの太子あり。相好具足して、出家し成仏す。その時、父の王、仏及び僧を請じて、三月供養す。阿棃蜜羅(ありみつら)(ここには聖及と云う)比丘と云うあり。三月の中の燈の施主となって、日日城に入って油を求む。
 時に王女に牟尼(むに)と云えるあり。高楼より比丘の日日城に入って油の具を須(もとむ)”るを覩(み)る。王女(牟尼)歓喜していわく、〈比丘、今日より油を乞うことなかれ。我まさに給すべし〉と。これより毎日、酥油・燈炷の具を送る。
 その時、仏かの比丘の誠心を看て、記莂を授けたまう。〈汝、来世、阿僧祇劫において、まさに作仏すべし。名を定光という〉。
 その時に、王女の牟尼、彼の比丘の授記を得しことを聞いて念(おも)いけるは、〈彼の仏に捧げし燈およびその具は、みな我が財なり。しからばこの功徳をもって我れ先ず授記を得べきに、比丘の記莂を得れば怪し〉と思い、すなわち仏の所(みもと)に往いて申しければ、仏、また牟尼に授記していわく、〈汝、来世二阿僧祇劫において、まさに作仏を得。名を釈迦牟尼といわん〉。王女、この記を聞いて歓喜し、発心して化して男子と成る。重ねて仏足を礼して沙門となる。昔、燈明を布施せしに由てこれより已来、無数劫の中、天上・人間に福を受くること余人に絶(すぐ)れて、今の成仏に至るは、もとこの燈明の報に由る(『要集』)”」。
 ○『譬喩経』にいわく、
舎利弗(しゃりほつ)のごとき智慧第一、大目連(だいもくれん)は神通第一、阿那律(あなりつ)は天眼第一にして、よく三千界を見る。
 阿難、仏に白(もう)して言く、
“この阿那律、宿(むか)し何なる業あって天眼かくの如くなるや”。
 仏、阿難に告げたまわく、
“過去九十一劫、毘婆尸仏(びばしぶつ)入涅槃の後なるに、この人盗賊となって、塔の中に入って盗まんとす。塔の仏前に燈あり。まさに滅(きえ)んとす。盗びと、箭をもって燈を挑(かか)げ見れば、仏の威光に身の毛竪(よだ)てり。その時念ずらく、〈諸人みな宝を擲(なげう)って、仏に福を求む。我、捧げずして何ぞ盗まん〉と。たちまち志を改めて、捨てて還る。昔、この燈を挑(かか)げる福に縁て、これより九十一劫恒に善處に生じ、今我に値うて阿羅漢果(あらかんか)を得、衆人の中に天眼第一たり。いかに況んや、心より生じて財を捨て、仏前に燈を燃やすものは、福徳量(はかり)難し”」。
 ○『超日三昧経』にいわく、
「日天王、無数の天人と仏所に来て言く、
“何の行をもって日天となって四天下を照らし、また何(いか)なる縁をもって月天となって夜を照らすや”。
 仏の言く、
“四事あり。一には、常に喜んで布施し、二に、身を修し行を慎む、三に、戒を奉じ犯さず、四に、仏事に燈を燃(とも)し、あるいは父母・沙門・道人に光明を値(あた)う(『要集』)”」。