BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

よこみち【真読】№36 「美談の法則」

※すいません、一枚目の画像は投稿ミスです。

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 仏伝や仏教経典に由来する話はあまた在る。仏教なんて知らないがその話なら知っているという人も少なくない。今回の本編の話題もきっとそうだと思う。「貧女の一燈」。仏教が誇る(いや実際は誇っているかどうか知らないが)美談の一つである。この〈 美談 〉という所を注視しよう。
 かねて考えていることだが、美談が成立するためにはいくつかの条件がある。事実をそのまま祖述しても美談になるケースは多くない。むしろ、えっそれウソでしょ!みたいな事実が偶然に重なれば、美談としてほぼ成功するポイントみたいなものがある。言い換えれば、美談の法則というやつだ。それを今回の話をケーススタディとして述べてみたい。
 それは四つ在る。

 一、主人公はわれわれよりも劣位にあること

 劣位とは、たとえば家庭的に恵まれていないとか、肢体による運動の自由度が極端に低いとか、経済的に貧困であるとか、人間関係が粗悪であるとかなどなどである。もしかして「劣位」という表現にぴくっと来た人権啓発運動推進タイプの方もあるかもしれない。ごめんなさい、決して人間に優劣ありと主張したいわけじゃないけど、手っ取り早く物事を伝えたくて、言葉の表現に慎重さを欠いているだけです。どうかご寛恕を。
 もし仮に美談の主人公がわれわれより優位にある人間だったらどうだろう。経済的に恵まれ、優しく非のうちどころのない家族と友人に囲まれ、病気一つしない頑健でスポーツ万能な身体を持った人間が、様々な困難を乗りこえて人生の苦境を打破する物語・・・にキャスティングされるはずはない。
 人は自分よりも劣った人間が、さらに不幸な目に遇っているのを見て〈安心して〉憐愍の情を抱き、〈余裕を持って〉共感しているのではないだろうか。
 主人公が、われわれよりも幸せなスタート地点にいては美談は成り立たないのである。

 二、主人公は女であること

 これも必須条件。なに?男が主人公の美談だっていっぱいある?
 ま、ね。たしかにね。でもさ、つらい目にあってベソかいているその人が、なんとかいろんな人の手助け借りながら、だんだん成長してゆく物語があるとして、男の主人公と、女の主人公とどっちがいい? と聞かれたらどうですか?
 やっぱ女性でしょ。もちろんお婆さんでもかまわない。本編だって「老母」でしたからね。でも老母よりは、美魔女、美魔女よりは美少女、とこうくるんじゃないだろうか。本編で触れたように、オリジナルでは「老母」なのに、話が広まってゆくにつれて、主人公がどんどん若返り「童女」になっているのは、私と同じ嗜好の人がいかに世の中に多いかと言うことを証明しているようなものだと思うよ。(あ、私は三〇代くらいでもけっこうイイですけど)

 三、「たったひとつ」であること

 これも美談にとっては生命線とも言えるポイント。たとえば、かの『一杯のかけそば』。あれが美談であるためには「二杯」や「三杯」ではダメなんだよね。

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 『最後の一葉』にしても、葉っぱがざわざわたくさん残っていたら、はかなさの演出にはならないわけだ。

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 「ひとつ」は貧しさと孤独の象徴であり、物語の中で反転して「豊穣」なる「幸せ」へ変成するための重要なファクターなんだな。 

 四、光明のあること

 そう、明るさ。ほかの三つがダメダメでもこれがあればなんとかなる。というか、「かわいそなお話し」を「いぃ~話し」に持ち上げる力は、ひとえに明るさにあると言える。〈 明るさ 〉が無いと、どんなによいお話しも美談にはなれない。思い出すなあ「ダンサー・イン・ザ・ダーク」。このとっても大好きな絶対的傑作映画が、ついに「美談」になれないのはその明るさの無さゆえだと思うのだよ。

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 所ジョージ曰く「便所の100ワット」ごとき無駄な明るさはいらないけど、話を読み終えた(聞き終えた)あとに「救い」の方向へ誘ってくれるのは、その物語自体に「光明」があるかどうかだと思うのであります。

 さて、以上四点。

一、主人公はわれわれよりも劣位 → 「貧」
二、主人公は女 → 「女」
三、たったひとつ → 「一」
四、光明がある → 「燈」

 かくも明らかなように、
「貧女の一燈」とは、美談成立の四つの法則を、完璧に兼ね備えている鉄板物語なのである。