兀兀として・・・酒に酔う!??
この右の文字、お寺にご縁の人たちは別にして、一般の方はどれくらい読めるだろう?
うちのお寺の額の文字なんだけど、「円周率のπ(パイ)ですか?」というお詣りの方もあった。
よみは「ごつ」。二文字では「ごつざ」と読む。
私がこの字の読みを知ったのは宗立の学校に入ってまもなく。禅を教えてくれる授業の時間だった。道元の『普勧坐禅儀』の中に、「兀兀として坐定して、箇の不思量底を思量せよ。不思量底、如何が思量せん。非思量。これすなわち坐禅の要術なり」とある。その時の先生、たしか「ゴツゴツとした岩の揺るぎようのない様のように、どっしりと坐禅する姿のこと」という意味の説明をしたと思う。
当時、大きなお寺の学寮に寄宿して、その寺の禅堂で坐禅することが日課の中に組み込まれることもあった。田舎から出たばかりのおぼこい頃である。「兀坐」という言葉に、スポ根モノにはまったかのような熱を感じ、わりとマジに受けとめていたよな、と懐かしく思い出す。
ところが昨日、蘇軾の詩を読んでいる時にこの「兀兀」に出逢ったのだが、その意味するところにおや?と思った。
「飲まざるになんすれぞ酔うて兀兀たる」。「酒飲んだわけでもないのに、どうして酔っぱらったみたいに“兀兀”としているのだろう」ということだ。【字解】にもはっきり書いてあるように、「兀兀」とは「酔えるかたち」とある。『酒徳頌』とか白楽天の詩文の用例まで載せてあり、これはかなり確かなことみたいだ。思わずびっくり。この三〇年以上思い込んできた意味とはほとんど反対じゃないか。
おいおいほんとかよと思い、念のために『諸橋大漢和』で「兀」の字を見ると、
1:たかい。高くして上が平らかなこと。
2:高くそびえた石。
3:はげる。
4:あしきる。
5:無知のさま。
6:動かないさま。
7:おちつかないさま。
8:発語の辞。
9:姓。
ははあ、なるほど。坐禅で言う時の「兀」は6あたりの意味かな。で、蘇軾でみたのは7の意味だろうか。酒に酔ってふらふらするところを言っているのかもしれない。『大漢和』の「兀兀」項には二つの意味が記されていて、
①心を一方にそそいで動かぬさま。勉めて休まぬさま。勤苦するさま。不動なる。
②ゆれて危ないさま。ふらふらする。
と併記されている。やっぱりそうだな。元来この二つの方向が「兀」にあって、その一方しか自分は知らなかったと言うことだったのだ。
でも、たぶん私みたいな人は多いよね、きっと。