よこみち【真読】№46「人面鳥の系譜」
仏教神話(というジャンルが仮にあるとして)における音楽の妖精とも言えるのが迦陵頻伽(かりょうびんが)だ。妙音、美声など、この異形の生き物に託されている能力は仏教の枠を越えて広く知られている。本編の要点はその「音楽」に関わるところなのだが、よこみちのスタンスとしてはしばらくその異形さにポイントを置いてみたい。
人の顔をした鳥。
このモチーフ、思いだしてみればかなりの例を挙げることができる。
鳥の擬人化、ということであればよく知られている日本昔話にまず指を屈することができる。
また人面鳥ならぬ「鳥面人」の例も少なくない。
そしてこれに対照的な「人面鳥」。
いましばらく「人面鳥」の例は続くが、ここで「鳥面人」と「人面鳥」の違いについて確認しておこう。
その違いは端的に「飛ぶことが出来るか否か」にあると思う。
鳥の属性の一つはその翼、すなわち「飛ぶ」ことと認めて、人がその能力を温存して形象化されたものが「人面鳥」。
もう一つに、鳥のしぐさや表情に「人間のように思惟し言語を発する」趣きを感じ取って形象化されたものが「鳥面人」と言える。
この二つを比べておもしろいのは、一方は鳥の能力(飛翔)を、一方はヒトの能力(思考・言語)を、それぞれ重視しているという点。少し乱暴だけど、その意味では「人面鳥」は鳥に引き寄せられた人、「鳥面人」は人に引き寄せられた鳥、そう言えないだろうか。で、乱暴ついでに言えば、前者は鳥(の飛翔能力)にあこがれた人間の、後者は人間(の思弁能力)にあこがれた鳥の、それぞれ望みを果たした姿のように見えてくる。
ギリシャ神話のハルピュイア、
イカロス、
そして東洋の神獣たち。
冒頭にかかげたコミックのヒロインから
アニメのヒーローまで
飛翔を重要な特質とする「能力者」たちは古今東西にあふれている。
私が迦陵頻伽の異形性にあらためて気がついたのは、涅槃図の中にその姿を認めた時だった。
それまでも仏菩薩の周りに飛び交う天女とともに認めていたはずだったのだが、
臨終の床に沈もうとする釈迦の側で、悲嘆の表情を浮かべるその姿に、なにか新しい生き物を認めたように感じたのがきっかけだった。
そしていまこうして鳥の姿をした異形の者達をならべ見る時、迦陵頻伽の独特なキャラクターが浮かび上がる。それは他の(迦陵頻伽のエピゴーネンを除いた)「人面鳥」にはあまり認められない属性。つまりは「音楽に長けたもの」である。
というわけで、本編新章「音楽部」のはじまり。