BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

【真読】 №50「音楽の説」 巻二〈音楽部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

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【真読】 №50「音楽テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号27

 楽をなして三宝に供養すれば功徳甚深なり。ゆえに『法華経』(方便品)偈に曰く、「もし人をして楽をなさしめ、鼓を撃ち、角貝を吹き、簫笛・琴・箜篌(くご)・琵琶・銅鈸、かくの如き衆(もろもろ)の妙音を尽く持して、以て供養すれば、皆なすでに仏道を成ず」と云えり。
 ○『百縁経』に曰く、「昔、仏在世の時、舎衞城中に諸の人民あり。各おの自ら荘厳して、妓楽をなし、城を出て遊戯す。城門に入りて、仏の乞食したまうに値う。諸人、仏を見て歓喜し、礼拝して即ち妓楽をなして、仏に供養し、発願して去る。仏、微笑し阿難に語って言たまはく“諸人等、妓楽を仏に供養するに由って、未来世一百劫の中、悪道に堕ちず、天上人中に快楽を受く”」。
 ○『大樹緊那羅王所問経』に云く、「その時、大樹緊那羅王、己が弾ずる所の瑠璃の琴、閻浮檀金を花葉として荘厳し、善業の業報を以て造れる琴を以て如来の前に調べ、余の八万四千の妓楽をなす。その音、三千大千世界に聞こえて、欲界諸天の音楽を蔽(おお)い隠す。あらゆる諸山の叢林、遍く動ずること、人の酔うて顛倒するが如し。不退位の菩薩の外、一切の凡聖、これを聞いて各々座より起ちて舞う。一切の声聞、威儀を失うて小児の戯れるが如し。その時、天冠菩薩が声聞・迦葉等に語りたまう、“汝諸大徳、すでに煩悩を離れて、八解脱を得、いかんが今各々威儀を失うて小児の如くなるぞ”と問いたまいければ、諸の声聞答えて言わく、“我、ここにおいて自在を得ず。譬えば、大風の樹木を吹くに、樹木力無きがゆえに動かさるるがごとし”と。その時、天冠菩薩の言わく、“誰が現にかくの如くなるや。無上正真の菩提心を発さざるがゆえなり。彼の不退菩薩の威徳勢力を語らば、琴声の威力も皆な説法の音なり”告(の)たまえば、八千菩薩、無生忍を得る」。
 ○『智度論』(九十三)に曰く、「諸仏の賢聖は、離欲の人なれば音楽歌舞をもちいず。何がゆえにか妓楽を供養するや。答えて曰く、“諸仏は一切法において所着無きがゆえにもちいることなけれども、諸仏、衆生を憐れんで世に出るが故に、これを受けてその供養者に、願に随って福を得せしむるなり”」。