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BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

よこみち【真読】№56「山のお寺の鐘が鳴る」

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 鐘に関わる偈にはいくつかあるらしい。曹洞宗の修行道場では梵鐘を打つ際に「鳴鐘の偈」というものを唱えるよう教えられる。
「三途八難(さんずはちなん)、息苦停酸(そっくじょうさん)、法界衆生(ほっかいしゅじょう)、聞声悟道(もんしょうごどう)」
というものだ。やはり鐘の声に人びとの苦悩を鎮める効用があると説いている。
 試しに諸教典の中の「鐘の偈」に関わる例を調べてみた。

a《四分律刪繁補闕行事鈔》卷1:「應說聞鐘偈。增一阿含云。降伏魔力怨。除結盡無餘。露地擊犍稚。比丘聞當集。諸欲聞法人。度流生死海。聞此妙響音。盡當雲集此。」(CBETA,T40, no. 1804, p. 35, b28-c1)

b《律苑事規》卷1:「大打起集眾就僧堂前立定皷絕維那舉聞鐘偈曰。
 降伏魔力怨 除結盡無餘 露地擊犍稚 比丘聞當集 諸欲聞法人 度流生死海 聞此妙響音 盡當雲集此」( CBETA,X60, no. 1113, p. 94, c16-19 // Z 2:11, p. 3, d16-p. 4, a1 // R106, p. 6, b16-p. 7, a1)

 このa、bは同じものだけど、この例が比較的多く見えた。《梵網菩薩戒經疏註》卷3にも載せてある。「魔力怨」を降伏するというから、鐘声の力はかなり強力だということだ。

c《續傳燈錄》卷35:「天童枯禪自鏡禪師。福州高氏子。作上鐘偈曰。一模脫就轉風流。平地教他不肯休。要得洪音喧宇宙。直須更上一層樓。」( CBETA,T51, no. 2077, p. 708, a26-28)

 これは枯禪自鏡禪師の作。「洪音喧宇宙」とあるのが鐘響の無辺に広がり行くさまを思わせる。この偈はこの後自鏡禪師の伝が編まれる度にくり返し伝えられてゆくみたい。いくつかの禅録に収録されている。

d《叢林校定清規總要》卷2:「鳴鐘行者。當燒香禮拜。誦鳴鐘偈云。(願此鐘聲超法界。鐵圍幽暗悉皆聞。三途離苦罷刀輪。一切眾生成正覺)」(CBETA, X63, no. 1249, p. 610, c7-8 // Z 2:17, p. 19, a17-18 // R112, p. 37, a17-18)

 これまた趣旨はa・bに近いかな。

e《紫柏尊者全集》卷20:「聞鐘偈 根中若有塵。塵中若有根。根塵既交參。能所互不斷。根中若無塵。塵中若無根。根塵不交參。誰先復誰後。真妄各有路。同行不同入。入則頓了知。未入徒支離。是事大不小。大雄始能了。」(CBETA, X73, no. 1452, p. 318, c6-10 // Z 2:31, p. 493, a6-10 // R126, p. 985, a6-10)

 根と塵は自分の感官能力とその対象となる外境を指すのが一般だけど、ここではその回互転換の自在さを言うみたいだ。さっきまでのちょっと毛色が違う。

f《續燈存稿》卷4:「袁州仰山雪巖祖欽禪師
師在眾時有鑄鐘偈曰。通身只是一張口。百煉爐中輥出來。斷送夕陽歸去後。又催明月上樓臺。(CBETA, X84, no. 1585, p. 691, c10-p. 693, a10 // Z 2B:18, p. 41, a11-p. 42, b17 // R145, p. 81, a11-p. 83, b17)

 「通身只是一張口」というのがユーモラスだね。

 以上は漢訳と中国成立の漢字仏教文献だけど、日本で出来た(らしい)偈もある。それは1566年に成立した『諸回向清規』に収録されている次の例だ。

 聞晨鐘偈
願此鐘聲超法界。鐵圍幽暗悉皆聞。三塗離苦罷刀輪。一切衆生成正覺。
 聞昏鐘偈
聞鐘聲煩惱輕。智慧長菩提生。離地獄出火。坑願成佛度衆生。(T2578_.81.0682c)

 この書は、中世後期から近世初期くらいまでの禅林で行われていた規式や回向文の実際をうかがうことの出来る資料だけど、鐘声の効果は中国以来の伝統の延長上にあると見てよいけど、それぞれ早朝と夜の鳴鐘時に唱える偈として規定されているところが特徴なんだろうな。それだけ禅宗寺院において「鳴鐘」が定式化してきたと見ていいのだろう。

 ずいぶんカタイ展開になってしまったけど、もう少し続けてみよう。もっと日本ナイズされたところを探ってみたい。「鐘の声」と言えば、みんながよく知っている『平家物語』の冒頭だ。

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

 威勢ある者もついにははかなく滅びてゆく、そんな「無常の響き」が鐘声の象徴するところ。そんな思いを日本人は託してきたのだった。
 ここにさっきまで見ていた、煩悩を鎮め、外魔を蹴散らすような鐘の力は期待されていない。さみしい、はかない、あはれ~、という情緒性のうちに鐘声が絡め取られている。

 ここで思い出すのが〈夕焼け小焼け〉について語った山折哲雄先生(以下、失礼ながら敬称略)の考えだ。

私は今、京都の洛中に住んでいる。早朝や暮れ方に、寺で鳴らされる鐘の音に耳を澄ますことがある。だがそれも、このごろはだんだん間遠になっている。京都でさえそうなのだから、ほかの土地では寺の鐘の音を聞くことなどほとんどなくなっているのではないだろうか。
  童謡の「夕焼小焼」に、
   夕焼け小焼けで 日が暮れて
   山のお寺の 鐘がなる
   ・・・・
の歌詞が出てくる。鐘の音が聞こえてくれば、子供たちよ、カラスと一緒に家に帰ろう、という呼びかけのメッセージである。
  考えてみればわれわれの社会は、近代の幕が上がるまでの千年の間、寺で鳴らされる鐘の音を聞いて毎日の生活を営んできた。起床や労働がそれで始まり、集会が行われ、市場が立った。勤行や作務、そして食事がそれを合図に始められた。
  子供たちの遊び場だった寺の境内も、夜が近づき時を刻む鐘が響けば去らなければならない場所だった。闇の訪れとともに、そこは森と樹林に覆われる静寂の別天地に変貌したのである。
  事情は西欧においても同じだった。どの土地を旅していても、都市や村の中心に教会が建ち、その前が広場になっている。教会が鳴らす鐘の音によって祈りと労働の時が刻まれ、行事や商売の話が始まる。時に犯罪人の刑場へと転換することもあった。京都においても、六条河原などで処刑が行われるときは鐘の音が響いていたのではないだろうか。
  縁日や祭日ともなれば、寺の門前は市をなし、時に喧騒の渦を巻き込んで晴れの舞台に変貌する。ファッションとグルメを競い合う交流の場となった。盛り場の拠点がそのようにしてつくられ、その寺の参道が門前からはじまる巡礼路へとつながり、さまざまな旅のルートが出来上がっていったのである。
  寺院の歴史をはるかに眺望すれば、そんな姿が浮かぶ。寺の上空には、いつでもゴーンという鐘の音が響いていたのである。人々の心にしみ入る、美しい宇宙のこだまだったと言ってもいい。暮らしの中のさまざまな営みを、生き生きとよみがえらせる時の刻みだったのである。
  その寺の鐘の音が、今日、いつのまにか途絶えようとしている。これからの時代、果たしてどんな新しい鐘の音を響かせるのか、寺院には思い切った知恵と工夫が求められているのではないだろうか。

 以上が山折の文章。寺院活動の今後に檄を飛ばす後段の文章はここではスルーしよう。話の焦点がずれてしまう。

 わざわざこの文章を引いたのは、「鐘の音」にまつわる日本人のある傾向を指摘してみたかったのだ。じつはこの〈夕焼け小焼け〉に関する山折の考察は、印刷媒体、テレビなど、宗教学的論考としては異例なほどメディアに載った。大勢の視聴者に受けたということは、とりもなおさず大勢の人びとの好きなポイントを撞いたということだ。夕陽に象徴される自然回帰の観念、鐘の響きが誘う無常観。それらは現代に継承されていた日本人の伝統的情緒性にフィットするものだった。
 鐘の音は「人々の心にしみ入る、美しい宇宙のこだまだった」という表現。これに世の人々はぐっと来たのだと思う。その意味で山折は、その考察も含めて彼自身「伝統的日本人」を体現していたのだと思う。

 このように見てくると、鐘声をめぐる中国禅宗までのとらえ方と、日本人のとらえ方の違いがはっきりしてくるように思える。