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BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

よこみち【真読】№57「タマシイが来たら磬を鳴らせ」

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 私がまだ小学生の低学年頃だったと思う。夜、まだ建てかえる前の古い庫裡に祖父母と三人で居た時のことだった。
 本堂の方から、「ゴーン」と磬子の音が聞こえた。遠い音だったが明らかに磬子の音とわかった。私だけの空耳でない証しに、居合わせた祖父母も音の聞こえてきた本堂の方を見た。戸締まりを済ませ、詣る人もいない時間である。
 「おじいちゃん、カネの音したよ」
 私の声に応えたのは祖父ではなく祖母の方だった。
 「だれか来たったべが?」
 子供の推察であってもその「だれ」とは生きている人ではないとわかる。誰かのタマシイ、霊魂が来たのだろうか、と言うのだ。
 祖父が私を見て言った。
 「本堂さ行って磬子(カネ)三回鳴らして来い」
 
 その頃、私と妹、そして両親の四人は同じ村の中の借家に住まいしていて、祖父母の住む寺には同居していなかった。理由は忘れてしまったが、その日は両親が何かの都合で私一人を祖父母のところへ預け、どこかへ行っていたのだろう。そんなことがたまにあった。
 祖父の言いつけは当時の私には重い課題だった。
 ふだんは別居していた私たち家族と祖父母との距離感は微妙だった。孫ではあったけども、その頃は遠慮しながら空気を読むというすべを学びつつあった。祖父母に対して無邪気な孫の拒否権を発動できるほど親密な間柄にはなかったのである。暗いし怖い。本堂のガラス窓から漏れてくる月明かりを頼りに、やっとの思いで磬子をガンガン鳴らしてきた憶えがある。
 こんなことがあると、その翌日には決まって檀家さんからシラセ(訃報)が入るのだった。すると祖母はよく、
 「ああ、あそこのババだったのが」
などと話していた。
 時々、同じように寺に過ごす夜があるとこんなことがあった。「だれかの気配」を伝える物音はいろいろだった。わりと近くから障子戸を閉める音がしたり、しんとした中から水道の蛇口を開け閉めする音がしたりだった。その都度祖父は、「本堂さ行って磬子鳴らして来い」と言うのだった。

 その頃は、臨終を迎え寺にやってきた霊魂を迎えるために磬子を鳴らすのだと思っていた。今回本編を読んでみて、この説にもとづくならもっと積極的な意味があったのかもしれないと思う。
 そこに引く『倶舎論』に言うように、臨終時に、その人が善い念を生ずるうちに死なせようと鐘磬を鳴らすのだとすれば、臨終まもなく行き場を求めて菩提寺を訪ねて来た霊魂に対して磬子を鳴らして迎えるというのは、懇ろな接化であったということになる。
 祖父からそのような説明はついに聞くことなかったが、それは小学生にそんなことを教えてもしょうがないということだったのだろうか。
 本堂・位牌堂・庫裏の全てを改築した今、そんな音が聞こえてくることはめっきり少なくなった。